わたしをライブに連れてって♪
忘れちゃうひととき
すっかり春めいてきましたね。
2月は、FISHMANSのサトちゃんこと佐藤伸二さんの命日でした。
そして、復活ライブがありました。
FISHMANSを聴くと、自分史上一番青春だった夏を思い出します。
古着屋で買ったワンピースを着てクラブに行って、明け方、古いJEEPに乗り込んで、海までいってり、夜中の芝生の上で寝転んだり、はたまたそのまま誰かの家になだれ込み、DJもどきのようなことをしたり・・・。
世間一般でそれが輝いていたかというと疑問ですが、 当時、田舎者でごく普通の女の子だった私にとっては、雑誌の1ページに自分がいるように錯覚していた夏でした。
ほぼ毎日一緒にいるのに、本名も、本当は何を考えてるのかも知らない。たぶん、私たちは来年にはこんな風に遊ぶことなんかないんだなと心のどこかで少し寂しく感じながらも、あえてそこに触れないのがかっこいいと思いながら、ふざけあってた夏がありました。
無責任極まりない毎日の判断基準は「おしゃれかどうか」
学校の友達の中じゃ、ちょっとイケてると思っていたけど、音楽もカルチャーもおしゃれも、実際にはじめて触れるものばかりで、知ったような顔してほとんど知らなかった。
初めて会うおしゃれな知人ができるたび、どきどきしたし、
「青豆のセンスで選んで」って言われると、
奇をてらったほうがいいのか、普通にこじゃれたほうにすればいいのか
ファッションも言動もかわいい路線なのか、個性的にすべきかetc、
何が私に求められているのか常に混乱していた。
なのに普通の顔して、
それでも、わたしはあなたたちと違う
何の根拠もない自信を無理やり作って、自分を保っていた。
ほんとはもっとセンスのいい音楽だって文学だって知ってるんだと心の中つぶやき、 当時、おしゃれピープルの間で聴いていたFISHMANSなどSKAやDUB、渋谷系音楽には興味ないふりをしていた。
ライブの誘いも興味ない振りをしたまんま、FISHMANSを二度と体験することはなかった。
ほんとは、行ってみたかった。もっとその輪の中に入っていろんなことやってみたかったけど「知らない」「それやりたい」を言うのが怖かった。
だって、輪の中にはいれば、弱くて薄っぺらい自分がばれてしまうから。
現にFISHMANSの歌詞は、いつも私のこころの蓋をノックしていた。
当然のことながら、自然に私は彼らと会わなくなった。
生活する場所が変わったのだ。
あれから、あの場から離れててちゃんとFISHMANSを聴いた。
自分の奥にある何かにヒリヒリしていた感覚が次なくなって初めて、ラジオか何かでサトちゃんの命日を知り、歌詞カードを読んで聞いた。
そうなんだ、こんな風に私も感じていた
と初めて自分の気持ちの蓋を開けることができた。
春がすぐそこまで来ているのに、冷たい雨がしとしと降り続ける日、
あの頃の濃密な空気がどろりと私を包んだ。
部屋のヤカンの蒸気でむせ返るように窓は曇っていた。
そして20年のときを経て見たライブ会場には、
かつての彼らのような人達がいた。
きっとあの頃、彼らも同じようなことを感じながらサトちゃんの歌声を聴いていたのかもしれない。
たぶんこの先、今以上に自分で自分を持て余したりすることはないんだ、
お互いに終わりを知りながら、思い出を作りあってるときはないんだ、
そして、いつの日かFISHMANSを聴かなくなる時がくるんだと 。 その前に、サトちゃんは消えてしまったけど・・・
かなり美化した思い出だけど、忘れられないひとときだった。
あの頃の痛みは鈍くなっても、文字や音楽で季節をつかまえるような感覚はずっと私の中にある。
いつかその匂いとか感覚だとかを誰かに伝えられるようになりたい。
かつての青春時代話ばかりが続いていますが、そういうお年頃ということでお許しださい(笑)