線香の煙が三本。
実家にいるときには、仏壇に線香をあげるようにしている。このあいだ高野山に行ったときにもらった線香がことのほかいい香りなので、ここしばらくはそれをあげている。その線香の箱に書いてあったのだが、線香はうちの宗派では三本が基本らしい。
母親が買い置きしてある、おそらく火災防止のためだと思うのだが、普通の1/3くらいのサイズの短いロウソクに火を付ける。そこに三本の線香の先端をあてがって火を移す。しばらく火が灯っているのを確かめてから、線香を軽く振って火を消して煙が出ているかを見る。ちゃんと先端が赤くなり、煙が出ているのを確かめると、それを線香立てに立てる。
手を合わせて、その時に心に思うことをいろいろとご先祖に話しかけたり、願掛けしてみたりするのだけれど、自分のことを願うなんて強欲なことをすると罰が当たるんじゃないかと急に思って、ゴメンナサイ、と謝ったりすることもある。
ひとしきり、手を合わせると、今度は仏間の壁の上のほうに飾ってあるご先祖様たちの写真に手を合わせる。この写真がなかなかに絶妙な表情をしていて、うちのオヤジは見るからに笑っているのだが、それ以外のお爺さんやお婆さんやオバさんは、なぜか笑っているようにもムスッとしているようにも見える。ということで、その日、手を合わせて心の中で思ったことが正しければ、写真の人たちが微笑んでいるような気がするし、ちょっとばかり間違っていると、ちょっと不機嫌に見えたりもする。
なんかこういうことをものすごく気にする子どもだったなあ、と自分のことを思い出す。特に幼稚園くらいの頃。少し仏壇に身体が当たってガタガタすると、すぐに正座をして手をあわせて「ゴメンナサイ」と謝っているような子だった。あの頃と、ちっとも変わっていないなあ、と、ご先祖様たちの写真がいつもより、不機嫌に見える火には、もう一度、手を合わせ直して、仏壇の線香立てから立ち上る三本の煙の行方を追ったりする。
煙はすっと真っ直ぐに立ち上ってすぐに混ざり合い、ゆっくりと太い煙になって、その後、ふわりを溶けて部屋全体に広がっていく。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。
Jane
「線香の煙が三本」というタイトル、そこはかとなくユーモアの響きがあって植松さんらしい感じがします。もしこれが「線香の煙」とだったら、もっとしみじみとするでしょうねえ。
そして最後の二行もまたいいですねえ。
人の顔の写真って、長い年月に何度も見ていると、その時の表情が違って見えることがありますよね。違っているのは写真じゃなくて見る自分なんでしょうけれど….。
小学校高学年の頃、家族と親戚と海辺の民宿に泊まりました。布団を敷いた部屋に、20代くらいの男性の白黒の顔写真が額に入って、壁の高いところに飾ってありました。その男性の口がかなり早口で喋っているように動いていました。声は聞こえませんが。「うーん私は疲れているに違いない」としばらく布団を被って目を休ませてからまた見ましたが、やっぱり動いていました。今思うと、どうして客を泊めるような部屋にあの男性だけの写真が飾ってあったんだろう、と不思議です。
uematsu Post author
Janeさん
子どもの頃の記憶の中には、ときどき後から思い出しても「あれはなんだったんたろう」と思うようなことがありますよね。
僕にもえらく不思議で、ちょっと怖い話があるんですが、それはまた今度。