記憶の共有 : 鶏肉とカシューナッツの炒め物
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、
認知症の人は比較的直近の出来事を忘れてしまう傾向にあります。
昔のことは割としっかり覚えているのに、ついさっき起きた出来事を忘れてしまうのです。
我が家の忘れん坊将軍様もまさにそのパターン。
昨日のことどころか数分前のことも忘れてしまうこともしょっちゅうです。
昨日会った孫の名前を挙げては「久しぶりに会いたいなぁ」と言い、
お風呂から出た5分後に「私、もう何日お風呂に入ってないんだろう?」とつぶやきます。
忘れてしまうのがこの病気の最大の症状とはいえ、そりゃあもう大変です。
例えば「昨日行ったあのお店、なかなか良かったよね」と言っても、将軍様は大抵覚えていません。
そうすると、忘れてしまっている自分に気づいた時、将軍様は荒れます。
ちなみに・・・
荒れパターンその1
『昨日のことも忘れてる自分』
↓
『もう生きている意味がない』
↓
『死んでやる』
荒れパターンその2
『昨日のことも忘れてる自分』
↓
『もう普通に生活できない』
↓
『病院に入れろ』
こんな状態なので、どこまでさかのぼって話をしたものか、常に戦々恐々です。
共に体験したことの記憶を共有することができないのですから。
そんな中で、最近やっと思うようになりました。母とは「今」を過ごすしかないんだ、と。
ほんの数分前のことだとしても「近い過去」のほとんどが母の中から消えてしまうのなら、
「今」の話をするしかありません。
小さな希望は、「遠い過去」のことは割と覚えているというところです。
自分の子供時代ははっきりと、私が小さかった頃はなんとなく記憶にとどまっているようです。
母が荒れ出した時には子供時代の話を聞き出すようにすれば、
(もう何百回と聞いた話ですが)喜々としてその頃の苦労と楽しさを語り出し、
大抵は機嫌がよくなります。
また、私が小さかった頃の記憶は、よく、料理の記憶と共に語られます。
「昔はよく、〇〇を作って食べたものだね」と。
今日紹介する1品は、母が「昔よく作ったね。食べたいなぁ」と言ったので
まさに今日の晩御飯に作ったものです。
『鶏肉とカシューナッツの炒め物』
- にんじん、ピーマン、しいたけ、水煮たけのこを8ミリ角ほどのさいの目切りに、
長ねぎを1.5センチほどのぶつ切りに、生姜をみじん切りにします。 - にんじんは軽く下茹でをしておきます。
ここで完全に火を通す必要はありません。2分程茹でて、水に取らずにざるに上げておきましょう。 - 鶏肉を一口大に切り、酒をまぶしておきます。
- フライパンに油を引き、生姜のみじん切りを炒めます。
香りが立ってきたら鶏肉を入れ、色が変わるまで炒めます。 - 鶏肉の色が変わったら、にんじん、しいたけ、たけのこ、ピーマンの順にフライパンに加え、炒めます。
- すべての材料に油がなじんだら、ひたひたになるくらいの水を加えます。
- 鶏がらスープの素、砂糖少々、しょう油少々を加えて味付けをし、食材に火が通るまで
中火で加熱します。
私は、鶏がらスープの素を味のメインにするので、
砂糖と醤油は味をまろやかにするためと香りづけのためにほんの少し加えるだけです。 - ねぎとカシューナッツを加え、水溶き片栗粉でとろみをつけます。
片栗粉のとろみはしっかりと加熱しないと戻ってしまいます。ちょっと長めに加熱しましょう。
しっかりとろみがついたら出来上がり。御多分に漏れず、「逃げ恥」にはまっています。
久しぶりにここまでドラマにはまってしまった理由を自己分析しつつ、
結局は「ガッキーかわいい!」「ああ、ひらまささんが好きだぁ・・・」と、
テレビにかじりついています。
数か月後、『これかった』に「『逃げ恥』のDVD買った!」って書いてそうな予感。ミカスでした。
kokomo
食べ物は「記憶の共有」の大きな要素になりますね。
私も小さい時に食べたものの話を両親も覚えていたりすると嬉しかったり。
私も「逃げ恥」、はまっています!
子どもたちと「ガッキー超かわいい!」ときゃーきゃー言ったり、
「星野源、あまりタイプではなかったけれど、はまってしまったらどうしよー」と
余計な心配をしてしまいます。
年甲斐もなく「逃げ恥ダンス」を子供たちと挑戦したのですが、
彼らは最初から終わりまで難なくマスターしたのにもかかわらず、おばちゃんは
一つの振りにも四苦八苦です。
ミカス Post author
kokomoさん
確かに、食べ物の記憶って家族で共有できる大切なものですよね。食って、家族の変化と共に変わるし。
ダンス、私には踊れないなぁ〜と思いながら毎週見てます。
四苦八苦しながらもチャレンジするkokomoさん、すごい!
今日は火曜日。楽しみですね。