手紙のおもしろさ
荻窪の古本屋の店頭で、古い「太陽」のバックナンバーを買う。200円。1978年10月号の特集は、文豪たちが家族や恋人や友人にあてて書いた「手紙」。
昔の人は、今なら電話やメールですませてしまうことでも、なんでも手紙に書いた。
紙だからこうして実物が残っていて、今となっては大事な研究対象、またはこのように雑誌で特集が組まれて、私みたいなにわか愛好家のゴシップ気分を満たしてくれる。
谷崎潤一郎から根津松子に書かれた恋文。昭和7年10月9日。
谷崎といえば、妻千代子を佐藤春夫に譲るとして連名で書いた「妻君譲渡事件」の挨拶状が有名だけれど、これはそのあと。松子はのちに谷崎の3番目の妻になるひとだが、当時はまだ人妻だった。
ちょっと書き写してみます。
もう御機嫌を御直しあそばしたでござりませうか、〜中略〜
昨夜御写真を拝んで居りましたら御写真の御顔つきが何だかまだ私を叱つていらつしやるように見えましたので、ゆるして下さいまし/\とくり返して御辞儀をいたしました、ほんたうに、あの御写真は
あなた様の御気分を伝へて日に依つて変化するやうに思へるのでござります。
〜後略〜
御主人様
侍女
侍女…。自分のことを「侍女」と署名している…。
谷崎はいったい何をやっているのだ…。
こんなことになっていたとは知らなかった私は、さっそく図書館で『谷崎潤一郎の恋文 松子・重子姉妹との書簡集』千葉俊二 編(中央公論新社)という本を借りてきて読んだ。
それによると、船場の豪商根津清太郎の妻だった松子と谷崎が出会ったのは昭和2年。谷崎はまだ千代子と離婚していない。当初は家族ぐるみの付き合いだったのがだんだんと心が近づき、両者の離婚を経て昭和10年に正式に結婚した。
この手紙が書かれた昭和7年頃というのは、根津家が恐慌のあおりをくって没落し、まさかのあばらや住まい、夫婦間の気持ちはすっかり離れていたものの、清太郎は松子の妹伸子と不倫関係にあり家庭内では暴力関係の修羅場も発生、という松子人生最大の山場の時期で、他方谷崎は千代子と離婚後ちゃっかり2番目の妻丁未子を迎えて新婚だったりするのだが(なんで…)、ともかくこの年の春くらいに2人は気持ちを確かめあって最高潮に盛り上がっていた。このとき谷崎40代半ば。松子への気持ちは「云はゞ宗教的な感情に近い崇拝の念」と書いている。
『谷崎潤一郎の恋文』にはこの前後の手紙もすべて収録されているのだが、それがまた珠玉の変態名言集となっていてすばらしいです。
谷崎先生は、文句のつけようのないくらい立派でありながら同時に余すところなく変態、それも、才も教養も美もすべて注ぎ込んだ変態の特級品というところが、ほかのなみいる小変態のはるかおよびのつかないところだ。
そして、雑誌に載っている手紙の実物を見ると、松の意匠をあしらって「倚松庵用箋」と書かれた美麗な便箋を使ってあって、そこにも大家の風格と、変態らしい美意識と、恋や愛のかわいらしさがないまぜになっていてとてもよいのだった。
封筒の宛先は「根津御奥様」。わざわざこう書くところにも、ぞくぞくする。
最初の数ページでずいぶん時間をくってしまった。先に進みます。
岩野泡鳴。元妻・幸に宛てた怒りの手紙。
一、先日薫をおだてて英枝の財布から盗ませた金子七円を直ぐ郵便カワセにて送り返せ。
二、然らざればこちらでは窃盗教唆罪として警察へ訴へる。
返事がなければ必ず訴へることにすると思へ。
とただごとでない。(薫というのは幸とのあいだの子の名前、英枝はのちの泡鳴3番目の妻蒲原英枝。)そして手紙の2枚目は失われているのだが、子どもを引き取れという文面が3枚目に続く。
すべてお前の如き分らずやばアさんがついてるからだろうが、おれはもう子供に失望したから一切家には置かぬことにする。そしておれもこれから獨りになるのだ。
さらに、今まで家で次々金や書物や櫛などがなくなったのも、みんなお前が薫に盗ませて着服したのだと断じ、それは「すべて薫の白状で分つた。」…幸の悪事は確定らしい。薫の将来が心配だよ。
そして最後の一文がまたよくて、
今後近所(?)まででも来て見ろ。ぶんなぐつてやるから。
兎に角、手紙を貰つた以上は 〜(破れて読めず)〜 手続きをしろ。
罵詈雑言ですね…。もう書く場所がなくて欄外になっている。文中にもあちこち消したり書き足したりしている箇所があって、怒りの躍動感がすごい。
さらにこの手紙、なんと全体焼けこげている…。幸か、幸がやったのか。
なにぶん奇矯で知られる泡鳴のことだから、ぜひ幸のほうの言い分も聞いてみたい。一通の手紙は、片方のことしかわからない。
しかしこの手紙、よくとってあったと思う。これこそまさに私生活の覗き見だ。
手紙は、実物を見るとさまざまな視覚情報でもっと面白いことがわかる。
高村光太郎が千恵子に宛てた葉書、千恵子が少しでも読めるように大きな字で書いている。
中也の字は現代の女の人の字みたいだ。江國香織の書く字に少し似ている。
うら若き19歳の与謝野晶子が苦学生森崎富寿に恋して書いた手紙、明治30年。流麗すぎてまったく読めません…。しかし森崎自身も判読できなかったらしいので、この恋はいろんな意味で実らなかった。
斎藤茂吉の手紙、端正で読みやすいが罫線をまったく無視している。複雑な人だ…真面目なのかなんなのかよくわからない。
そして昭和11年、太宰治が川端康成に宛てた、芥川賞を懇願する手紙(巻物)。
今年、太宰が佐藤春夫に宛てて送った同様の手紙が新たに見つかり、それが4m超の巻物だというのでみな度肝を抜かれたが、川端宛のこれはその約半年後、第3回目の芥川賞の前に書かれたもの。これもそうとうの長さだがさすがに4mはない。
ところでこのニュース、最初に「手紙4m超」と聞いたときは、何をそんなに書くことが…!と戦慄したが、この川端宛の巻物は、
きつと よい
仕事 でき
ます
と一行に四文字くらいしか書いてなかったので、4mも不可能ではないとわかった。
しかし、こないだインターネットで佐藤春夫宛の巻物の写真を見たら、もうちょっと字がつまっていて(一行6文字くらい)けっこう読みでがありそうだったので、やはり佐藤春夫は戦慄したことだろう。
手紙というのは、いったん出したら書いた人の手からは離れてしまう。
手紙を書くということがもっと身近で日常だった時代に、受け取った人がどのような気持ちでか大事にとっておいた、それこそもっとも私的な手紙こそが、こうして後年発見されて、遺族のもとに戻ったり、雑誌に載ったりするのは、不思議なものだなあと思う。
そして、私的すぎてこっそり焼かれてしまった手紙なんていうのも、きっとたくさんあるだろう。
思えば、手紙ほど個人の黒歴史と深く結びついているものもないわけで、この中でいうと、ダントツ一位で太宰の手紙が恥ずかしい。普通の人なら墓場から生き返って取り戻しに来かねないレベルで恥ずかしい。谷崎の恋文も岩野泡鳴の手紙も相当なものだが、不思議と相当な手紙を書いたひとほど、たぶん屁とも思っていないし読んでいる側からすると好きである。
好き、というのとは違うか…。「瞠目!」というか、もはや「尊敬の念」に近いような…、ともかくこれらの手紙を胸に、しばらくは恥の多い人生でも生きていけそうな気がする。
byはらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
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凜
こんばんは!
昔の方の手紙というのはいまよりもっともっと生々しく血が通ったものだったんでしょうね。
今だと電話もメールもあるしで書くならもっとさらっとしてるような。
私の学生時代は(20年以上前ですが・・)携帯持ってる子のほうが圧倒的に少なかったので、わりと手紙のやりとりもありました。今でも大事にとってありますが読むとその時の空気や温度がわっとリアルに押し寄せてくる感じがします。手紙は不思議ですよね(^-^)
良くも悪くもかたちとして残るのがね。
ちょっと関係ないですが、マンションの自治会の役員してる関係でクレーマーさんがよく家に押しかけてきた時期がありまして。「ご用件がある場合は自治会専用ポストに書面でお知らせください」と張り紙したとたんぴたっとやみました。形に残すようにするというのはこういう効果もあるんだなあ・・・と感心したことでした。
サヴァラン
わたしはこの太宰治の手紙(巻物)を、彼の生家である斜陽館で見た記憶があります。あれはたぶん複製だったのだと思いますが、没後何十年も、実家であの手紙を晒されるという事態に至ってなお、彼は「トカトントン」とポーカーフェイスでいられるのだろうかと。だだっぴろい台所に据えられた「巻物陳列ケース」の前をしばらく離れることができませんでした。
半年前まで暮らした山口には中原中也記念館があり、そこには中也の流麗な文字でしたためられた手紙のいくつかが並べられていました。長谷川泰子や小林秀雄との交流を示す手紙もあった気がします。谷崎、佐藤春夫、松子夫人。中也、小林、長谷川泰子。あの当時の文壇の恋愛、なかなかに豪胆ですよね。
文豪の手紙、特にラブレターが大好物です。「○○記念館」で吸い寄せられるのは、決まってそこに所蔵されている手紙です。
いわゆる「文豪の手紙」からは少しだけ外れますが、谷川俊太郎の「母の恋文」。あれもなかなかな内容でした。父母の結婚前後の赤裸々な手紙の往還を、実の息子が編集したという時点で、動悸がする本。さきほど本棚を探してみましたが見つからず。代わりに1990年発行のマリ・クレールの存在を思い出しました。特集は「恋文物語」。島尾敏雄とミホ夫人の往復書簡も「本邦初公開」の見出しで出ています。
こうした「手紙」を通じた「肉声」に触れるにつけ、文豪、大家、と呼ばれるひとびとの、生命力のたくましさに圧倒されます。わたしは、一度投函した手紙を途中で「配達差し止め」にするのに四苦八苦した経験がありますが、もうその疲弊ぷりたるや「さすが小物!」と自嘲を禁じ得ませんでした。
己の黒歴史の公開に、新聞雑誌といった媒体すら駆使できる、激情と豪胆。その存在の耐えられない重さに、ただただ「びっくりぽんや」と彼我の違いを刻まれます。と同時に「人生、なんでもありやぞ」と妙な開放感に浸れるのも「文豪の手紙」の魅力だったりして^^。
1978年、10月号の「太陽」、さきほど早速注文しました。
はらぷ Post author
凛さん、こんばんは。コメントありがとうございますー!
ほんとうに、生々しいんですよね…。今ならもっと、「手紙らしく」書くんだろうと思うのです。
昔は会いにいく以外には手紙が唯一の手段だったから、手紙に対する構えなんていうのもなくて、それで、今よりずっと、生の気持ちと直結したものだったんだろうなあと想像しています。ちょっと誰かに頼んで届けてもらうっていうのもよくあることだったみたいだし、そうすると逆に、今のメールに近い気軽さ、ゆえの生々しさだったのかもしれません。
でも、なんといっても手紙の特徴は、返事を待つ時間が長いってことですよね。その間に様々なことを考える→手紙が返ってきたときにどんな心境になっているかはわからない、というところがますます事態をおもしろくしていたような…。
(←無責任発言)
そういえば、私も学生のとき(約20年前になりましょうか…)は携帯持っていませんでした。そしてやはりよく友人と手紙のやりとりをしていましたよ!
言葉の選び方とか、字の感じとか便箋とか、実体があるものってリアルですよね。そのときの自意識までもが伝わってくる…。自分はもらった手紙を大事にとっておいているくせに、自分の手紙をその友人がまだ持ってたらと思うとおそろしいです。でも、当時はそれが残るっていうことは全然意識していなかったなあ。
そうかんがえると、今は自分を安全なところに置いたつもりであれこれするってことにずいぶん慣らされてしまってるんだなと思います。
マンションのクレーマーの人、直接言いにくるほうがよほど勇気がいるように思うのですが…。やはりある種の人にとっては「証拠が残る」ということはおそろしいのですね。図書館の利用者のなかには、逆に「なんでも書面で残そうとする人」というカテゴリーが存在します。
しかし、凛さんさらっと書いてますが、クレーマーの人が家に押し掛ける日常ってけっこうすごくないですか?!
はらぷ Post author
わーサヴァランさん、こんばんは!
さすがサヴァランさん、もうこのコメントがひとつのコラムのようです!
そして『太陽』を注文されたとは!
ぜひお読みになったら感想を語り合いたいです。
太宰の巻物、斜陽館にあるのですか!あのさまざまな屈託のある実家に…普通のひとだったらもう生きてられません(死んでますけど)
太宰の場合、前後の所行を見てもこの手紙を書いたことを本人が「黒歴史」として認識していたかどうか、そうとう疑問がありますよね…。このひと本当にわからないです。
佐藤春夫宛の巻物4mは、今月から和歌山県の佐藤春夫記念館で晒され、じゃない展示されるそうですよ。ぜひ4m分、特注の巻物陳列ケースに入れて展示してもらいたいです。
文豪の恋愛、ちょっと調べるだけであっちにもこっちにも同じ名前が登場して、文壇まわりのどんぶり感半端なかったです…。
このあたり、パリのモンパルナスとかの感じもよく似ていますよね。
にわかなので今回谷崎の恋愛遍歴のことも初めて知ることばかりだったのですが、この人はこの人で、姉妹に手を出し過ぎでした。
佐藤春夫の気持ちがわかるよ…というか、谷崎に限らずあくの強すぎる文士たちに振り回されまくっている佐藤春夫に俄然興味が湧いてきました。
「90年代」の「マリ・クレール」の「恋文特集」!めちゃくちゃ気になります。
同じテーマが、時代と媒体と素材の化学反応でどんなことになっているのか…。
そして谷川俊太郎の「母の恋文」…動悸がする本って表現がすごいです(笑)
谷川俊太郎は、私にとっていつも油断ならない人というイメージです。
佐野洋子は谷川俊太郎のことを「無常識」と言っていたけど、美しいことばを世の中に残して、本人は地獄行きのバスに乗って行ってしまいそうな感じ。
で、佐野洋子はさっさとその先に行ってそうです。
ところで、サヴァランさんが配達差し止めにしようとまでした手紙っていったい…!
そこに一番動悸がします!
Aяko
Webのコラム読みに来ましたよ!
文豪のメンタル面は怪物的!本当に黒歴史とは思ってない、突き抜けた感がありますね。もう読んでいて愉快。
岩野泡鳴の手紙を焼いた後またとっておいた奥さんも、「侍女」から手紙もらって、その後結婚した松子さんも、周りの女の人達がかなりの人物だった気がしませんか?怪物を受け入れる器があったということかな。私は無理無理(笑)。
手紙にまつわる小説(ほぼ事実)で面白かったのは、伊藤野枝の「動揺」という作品で、野枝の文章を読んで恋い焦がれた文学青年から熱烈な手紙をもらった野枝が、手紙のやり取りのうちに青年が気になり出してしまい、同居中の辻潤は嫉妬し、、という、まさに返事を待つ間から生じる物語です。
郵便屋が来る1日2日の間に、気持ちが増幅したり冷めたり。昨今だとこの間がすごい短いんでしょうねえ。
私ももらった手紙はほぼ全部とっておきます!筆跡とか修正液の後とか、いろいろ想像をめぐらすのが好きです。
しかし一通だけ、10年分の思いが込められていて、熱量の高さに戦慄してすぐ捨てた恋文が、、、。
私の冷淡な返事の方も捨てられていることを祈るばかりです。
はらぷ Post author
Aяkoさん、読んでくれてありがとうございますー!
たしかに!文豪たちの所行も、相手の女性あってのものですものね。その視点は見落としていました!
懐深いといえば、谷崎の最初の妻千代子ですが、谷崎はそもそも芸者だった千代子の姉のお初にご執心で、彼女の妹だからって理由で千代子と結婚したそうですね。にもかかわらずおとなしい千代子に結局もの足りず、妹のせい子に心を移している…そしてすったもんだの小田原事件につながるわけですが、もうそんなことになったら私だったら尼寺に行きます!
でも千代子はそんな中でも別の人と恋に落ちたりしながら最終的には佐藤春夫の妻になって、子どもが生まれたときには仲直りした谷崎がお祝いに来たりしている。
松子との関係はこのあたりと同時進行なので、往復書簡の中にもしょっちゅう千代子の名前が出てきます。そんなの私が松子でも嫌だよ。(しかし松子にとまどっている様子は見られません)
従順、だけではすまされない、やっぱり女のほうも只者ではない感じがビンビンします!
伊藤野枝の「動揺」、面白そうですね…。全集に入っているのかな。
一方的に思いを寄せられて、優位に立ったつもりでいるうちに、うっかり気持ちが盛り上がって振り回されてしまう逆転現象、待っている時間のひとり相撲感!なんだかすごくわかる気がします(笑)
手紙って、ただ書いてある内容だけでなく、ほんのちいさな箇所からいろいろと透けてみえてしまうのが、おそろしくも愛おしくもあるところですよね。
そしてその推理はたいてい当たっている…人間の情報処理能力のすごさ。
うまいこと書いたつもりで、相手はなんでもお見通しなのだろうなあ。
それにしても、10年間恋されるっていうことも相当すごいですが、10年分の思いにほだされず冷淡な手紙をかえしたAяkoさんは魔性の女の一種ではないかと思った次第です。