村に火をつけ白痴になれ
3月に『村に火をつけ白痴になれ 伊藤野枝伝』(栗原康/著 岩波書店)が出て、早速買って例のごとく放置していたものをこないだ読んだ。そして興奮して同じひとの書いた『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社)も読む。おもしろい。野枝、やばい。そして栗原康は文体がうつる。ちくしょう(←こういうとこまでうつる)
伊藤野枝。1895年、福岡県の今宿に生まれた。作家、無政府主義者、婦人運動家、「青鞜」の女(平塚らいてうの後をついで編集長をやった)、新しい女。ダダイスト辻潤を捨ててアナキスト大杉栄のもとに走った女。
今までに読んだものでなんとなく持っていた野枝像を、鮮やかに覆されるような本だった。
奔放で情熱的。世間を賑わした様々な論争や恋愛スキャンダル。田舎から出てきてらいてうに見出され、辻潤や大杉栄というすごい男たちを渡り歩いて花ひらいた女。才気溢れるけれど直情的に過ぎ、ライバルの山川菊栄なんかの怜悧さ、明晰さと比べるとやや論理に欠けるところがある…
私が持っていた野枝のイメージには、そういえば、つねに「女」という言葉がくっついていた。目の前のことしか見ないとか、論理的でないとか、そういう「女の特性」(と世間でみなされているもの)ゆえに思想家としては今一歩…。つまり、「女」を超えられない。そんなような見方すら、とくに女性の描く野枝像のなかには多くあったと思う。
子どもは生みっぱなしで飛び回る。人に迷惑かけほうだい。大杉栄といっしょに殺されなかったら、こんなに名を残したかどうかわからない。
ところが、この本を読んでみると、野枝くらい、書いたものと同じだけ全身全霊で自由に、ありったけ生きたものはいない。今までみたような見方こそが、それこそ野枝いうところの「奴隷根性」そのものじゃないか。それに、「辻潤の女」「大杉の女」という文脈で語られがちな野枝だが(まあ、そのへんがめちゃくちゃ面白いからというのもあるが)、野枝からみたら、辻も大杉も野枝の男だ。というか、野枝はただ、野枝である。
この本で、栗原康は「野枝はほんとうはわがままなんかじゃなかった」とかそういうことは何一つ言っていない。むしろ「野枝のボーゼンアゼン☆トンデモエピソード」が満載の一冊だ。
わがまま、突っ走る、人の話なんか聞かない。
野枝を描写する言葉は変わらない。でも、それを載せる土台の、照らす方向の、言葉をくりだすひとの精神の、その自由さで、あらわれてくる姿のなんと違うことかと、胸おどらせずにはいられない。
野枝が近くにいたら、きっとものすごく大変だ。じっさい周りのひとびとはめちゃくちゃ振り回されている。でも、それは野枝のもんだいではない、自分自身のもんだいである。
関東大震災から約2週間後の1923年(大正12年)9月16日、野枝は大杉栄と甥の橘宗一とともに憲兵隊に連行され、虐殺される。遺体は簀巻きにされて、井戸に放り込まれた。28歳。
このあいだ、わたしなんかよりずっとこういうことに詳しい友人と、「今思うと、大杉栄や伊藤野枝が、殺されなきゃならないくらい危険人物だったとは思えない。」という話をした。
憲兵隊に言わせると、大杉はアナキスト連中の中心人物であり、震災後に世間を攪乱し治安を乱す恐れのある社会の害悪をあらかじめ排除したってことになるようだが、じっさいのところ大杉は治安を乱すどころか、友人知人を心配して救助に奔走していた。治安を乱してる暇なんかない。つまり、罪状がなんにもない。そんなのは、「気に入らないからいい機会だし殺してやった」と言っているのと同じである。それでもあえて、大杉と野枝に罪状をつけるとしたら、その罪の名前は「自由」ということになるのだろうか。
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by はらぷ
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AЯKO
今回は文章が疾走してるようで、ちょっと面白いですね(笑)。
私は予約して残念なことに、この本まだ読めていないのですが、どんな精神の人が描くかによって本当に違ってくるものなんでしょうね。トンデモエピソード、、、木村壮太との経緯も出てきますか?(ちなみに私は駒村吉重という著者の辻まことの評伝から、興味を持ちました。)
「奴隷根性」の話や、野枝からみたら、大杉と辻が野枝の男だというところに、納得してしまいました(笑)。「向うが私を好きになって一緒に暮らしたいと言ったんでしょ」ぐらいに、誰かの女だなんて彼女は微塵も思ったことがないだろうなあ。私達もまあそうではないですか。
野枝さんは、ここ数年生きてて自己嫌悪に陥った時に、「いやああいう人もありだし」と勇気づけられる人です。
しかし罪状が「自由」というのは重い言葉ですね。今も「行動の自由」の前に「発言や思想の自由」も侵されてる部分があるので、この虐殺は昔の話だからって笑えないですよ。
はらぷ Post author
AЯKOさん
読んだものにたちまち影響をうけるというこの単純さ…。
トンデモエピソード…野枝は、辻とのあいだにできたこども(まことさんですね)を連れて青鞜社に出勤していたのですが、赤ちゃんが泣いて周りがおろおろしてもかまわず仕事、おしっこをしてもちょんちょんと畳をなでてかまわず仕事、うんこをしても、おしめを庭でばさばさっとやってかまわず仕事をしていたらしいです。野枝さん、せめて埋めてください…。
木村荘太でてきましたよ!でも、会ってみたらつまんなくてあっというまに冷めてしまったと案外あっさり切り捨てられていました。栗原さんは木村に興味なし(笑)でも、野枝を有名にした立役者(?)ですからね。
木村荘太って、そういえば木村荘八の兄なんですね。
確かに、誰かの女だなんて、彼女自身は微塵も思っていなかったでしょうね。
俯瞰でみるとそういう視点になってしまう、ということがあるのかもしれません。いい悪いではなくあっそういうことあるよな、と面白いです。
ここのところの私たちのまわりでも、また「社会の迷惑」みたいなことがずいぶんおおっぴらに言われるようになってきましたね。
と同時に、同じことをしても許されるひとと許されないひとというのが、やったことの大小ではなく、気分で決められている感じがとてもします。
自由は上から奪われるものではないのかもしれません。