神田祭に行く
「江戸」といえば「神田の生まれよ…」と出てくるくらい、江戸といえば神田なわけだが、東京に生まれて42年、神田祭に行ったことがない。
有名なお祭りだから(日本三大祭りのひとつらしい)、もちろん知っている。でも行ってみようと思ったことはなかった。やはりお祭りは地元のひとのものだという気持ちがあるからだろうか。花火やほおずき市なんかに出かけていくのとは違って、武蔵国の山のほう生まれの私なんかにしてみたら、神田祭なんて恐れおおいってもんである。
ところが、去年オットの会社が神田に引っ越しをして、神田の町が少し身近になった(ような錯覚をした。)
新しいオフィスは、神田駅から歩いて数分のところにあるのだが、仕事の行き帰り、いい喫茶店を見つけた(のりトーストの「エース」)とか、すごい古いラーメン屋があった(栄屋ミルクホール)とか、商店街のとちゅうに小さな神社があり、その前でいつも女の子が客引きをしている、白くて長いコートが流行っているのかとか、言語が不自由なわりにけっこうなセンスでいろいろ情報をもたらしてくる。
そして、先だって、「どうやら近々祭りがあるらしい」と言って帰ってきたので、ああ、それはきっと神田のお祭りだよ、ということになった。ほうぼうにポスターが貼られ、商店街は飾り付けられ、神社の横に仮小屋が組まれて、町中そわそわしだしているらしい。
こんどの日曜、行ってみよう、というので、行ってみることにした。いまだ縁もゆかりもありゃしないけど。
いちおう、行く前に下調べをしてみると、神田祭は一週間ものあいだおこなわれる長いお祭りで、日曜日に行われるのは、神輿宮入(みこしみやいり)といって、かんたんにいうと町会の神輿が町をねりあるき、神田明神にあいさつ(宮入)をしてまた帰っていく、という行事だということだった。
そんなことも全然知らなかったなあ。各町会の宮入ルートを見ると、さすが神田明神、ものすごく範囲が広かった。神田・お茶の水界隈はもちろん、秋葉原、大手町、日本橋、人形町、ぜんぶ氏子。なんてことだ。
前置きだけで800字も費やしている場合ではない。
さて当日、我々の出足は遅く、4時頃に神田駅に着いた(おい)
なぜ神田明神最寄りのお茶の水駅でないのかというと、私は、神田の北のほうに神田明神という神社の親玉があって、そこのお祭りであるということを知っていたので、てっきり神田明神に行くもんだと思っていたのだが、土地勘や、氏子や分社といった知識のないオットにそんなことを言ってピンと来るはずもなく、自分の通う神田駅かいわいでお祭りがあるらしいのだから、神田駅だとこういうわけなのだった。知識だけで知ってる私なんかよりある意味土地勘があるとも言える。
オットが毎日行き来している商店街にある小さな神社は、もう解散したあとと見えて、人はまばらであったものの、まだ熱気さめやらず、といった感じで、揃いの半纏を来た人々が三々五々たむろしていた。ご長老たちのきている着流しの着物の、紺地に白で仮名の意匠を染め抜いたのが粋で格好よかった。旭町町会。
オットが、いつもより道がきれい、ものが置いてない、と言っていた。神輿が通るからだろう。単に日曜だからかもしれないが。
そのまま外堀通りに出る。あまり祭りの賑わいは感じられない。やはり時間が遅すぎたんだね、このまま上がって、神田明神まで行ってみようよ、と歩き始めると、路地の奥に人が集まっているのが見えた。
行ってみると、小さな児童公園で、ちょうど神輿が解散して一息ついたようなところだった。ビールを飲むひと配るひと、記念写真をとるひと、いまだ盛んに気炎をあげる若者たち、脇で着替える半裸のひと(このひと見事なからくりもんもんだった)。
褌、角刈り、スキンヘッド、ぜ、全員がその筋のひとに見える…。
ずっと見ていたかったが、この場において我々はあまりにも部外者過ぎた。
ちょっと通り抜けようと思ったらでっくわしましたよ、みたいな顔をして(じっさいそうだが)、なるべくゆっくり歩いて長居せずに公園を出た。いいなあ。
公園のすぐわきに、お社があった。司町、真徳稲荷神社。
こうやって、裏道を歩くと次々と神輿にぶつかることになった。ちょうど各神輿が、それぞれの社に帰ってくる時間帯だったのだ。
神田は町なかに小さなお社(稲荷神社)がいくつもあって、その社を中心に町会が形成されている。ビルとビルの間に、こんなにあちこち点在してあるなんて、今まで気が付かなかった。
たった2ブロックくらい先の通りでは、別の神輿が今まさに最後の気勢をあげるところで、脇では「給食配給」と書いた襷をかけた女衆が、ビールをどんどん並べていた。御神酒所には、紋付袴のご長老。多町二丁目町会。
さっきのところもここも、褌率が高い(町会によって差があることがあとでわかった)。
こちらも見事なくらい、だれもかれも、その筋の人に…。
神田祭に限らずかもしれないが、ここに居合わせて実感したことは、今日この場所においては、「その筋のひと」に見えれば見えるほど格好いいのだ。
みごとなスキンヘッドに、みごとな角刈り。若い衆も、舎弟風に髪をかためて、皆ぜったい、この日のために床屋にいっている。
粋で威勢がよくて、多少やんちゃでも祭りの日ばかりは重宝する。寡黙ながら腕っ節は強く、礼を知り神輿が担げる、そういうやつだったらいちばんえらい。あと酒が飲めること。
べつにふだん、そういうひとが好みなわけでは全然ないのに、あっというまに影響される私。
で、まじめかつその筋っぽいおじさんが一番格好よかった。でも、剽軽な感じの人もそれなりにそういう筋の剽軽な人っぽくみえて、それもまたいいなと…。(やめとけ)
そして、やはり圧巻は長老衆ですよね…。好々爺みたいな長老衆が浴衣半纏着たときの、好々爺感はそのままに残しつつのなんともいえない迫力とその筋感!!(だからやめとけ)
とこのように、すべてがその筋に見えてくるという褌半纏祭りマジックですが、普段の服にもどったら、きっとみな堅気の人びとだ。
でも私の目の錯覚(と思い込み)というだけでもなく、この美意識が、祭りのとき以外の神田にも、脈々と流れているような気がする。
町のかたちは変わっても、その筋と堅気、まじめさと荒っぽさ、一本気と柔軟さ、実直さと狡猾さ、そうしたものの間のすれすれを、渡り歩いてきた神田町人の気質が、ちょっとだけ垣間見えるような。幻想だろうか。
もともと職住一体の町だから、各町会のお社が商売とすごく結びついているというところも、神田祭の性格に一役買っているのかなと思った。
それにしても、時折見かける鳶の親方の格好よさよ…。
しかし、それでいくと、わたしなんかこの祭りでは、まったくなんの価値もないということになるのではないか…。
体力もないし、臆病だわ気弱だわ、おまけに寒がりですぐにトイレにいきたくなっちゃうし、酒もからきしだ!だめだだめだ、神田には住めない!(神輿をかつぐ前提)
いや、他にも生きるてだてはあるだろう…。ご長老とは仲良くなれそうだから、せめておにぎりを握るとか…ああ、でもどんくさいからおかみさんたちにどやされるな…。
今いるところでなんとか通用する数少ない自分の手札が、この祭りでは屁の役にもたちそうにない、そう思ったら、きゅうに愉快になった。憧れだ。
同じ東京なのに、いや、住む場所だけじゃない、居場所が違うと、価値観も美意識も、ぜんぜんちがう。
海にいくたび、海のそばで育ったら、違う性格になるんだろうなあーと思うのだが、神田に生まれても、きっと違う性格になった気がする。神輿もかつげるように育つかも!(かつぐのか)
そう思うと、人間なんて、そんなに確かなものでもないなと思う。わたしがわたしであるのも、たまたまだなあ。
そんなことを話しながら、中央線のガード下をくぐると、秋葉原のほうから神田明神下に続く大通りが、神輿巡行のメインストリートとなっていた。
行く神輿、帰る神輿がゆきかい、さまざな半纏が入り乱れる神輿銀座。ここには、大勢の見物客がいた。せっかくなので、境内に入ると、ここもすごい人出で、夕方過ぎてもまだまだ続々と、宮入が続いていた。
おお、こっちにくると、神田明神の側の気持ちになって、有名な大祭を見にきたって気分になるね、とオットと言い合って、たこ焼きやあんず飴も買って食べる。
でも、最初に町中のあの光景を見たから、やっぱり祭りは、地元の人たちのものだと思った。先に神田駅で下りたのがよかった。オットよ、ありがとう。
大通りをわたったところの路地にも別の社があって、神主さんの装束の人がちょうど一本締めでしめるところだった。それが終わると、みんなはちまきをとって、一礼した。ちいさな、大事なお社なのだった。
神田祭が形骸化せず、生きた祭りとして残っている理由があるとしたら、それは商売のちから、お金に対する切実な、神頼みの気持ちがあるからかもしれないと思った。
オットの会社も、引っ越し以来オフィスに神棚ができ、初仕事には幹部が近くの神社にお参りにいったらしい。神田はどこもそういうものなのか?
「そのうち、会社でも神輿の担ぎ手出すようになるんじゃないの?」
とオットに言ったら、
「そうかもね。ガイジン神輿。ははは。」
と言っていた。
まあ、そうなっても、オットもまた、屁の役にもたたないほうだと思う。
byはらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
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眼鏡A
はらぷさんの江戸散歩を読むと、広重の名所江戸百景で場所を確かめたくなります。
>「わたしがわたしであるのも、たまたまだなあ。」
なるほどなぁ。
AЯKO
私の手札も神田では全く通用しそうにないわ(笑)。でもここで育っていれば足袋の似合う格好いい女衆に育つのかなあ。
以前神田神保町で、3時過ぎに銭湯に入っていた時、洗い場で常連らしきちゃきちゃきしたおばあさんに、足を褒められた上、「今から仕事とは夜のお仕事かい」と言われたことを思い出しました。東京の下町らしいなあと感じたの。当時夜の図書館員でした。
はらぷ Post author
眼鏡Aさん、こんばんは。
すっかりお返事が遅くなりました!
広重の名所江戸百景、さっそく見てみました。
第10景「神田明神曙之景」。
祭りの賑わいとはうってかわって、清浄な朝の境内なのですね。
高台から見下ろす家々の甍。
この150年の江戸→東京の変化はすさまじくて、広重が描いた風景を偲ぶよすがはほとんどどこにもないけれど、今もなお、地形だけは裏切らないわ!と思いました。
帰りは、聖堂の横を通って、聖橋から切り通しと電車をながめて帰りました。
江戸→明治大正昭和の地図の変遷を見ていくのも、楽しいですよねえ。
働いている図書館で、ときどき家族の歴史を調べにきた利用者さんと地図をめくることがありますが、切絵図や東京15区内にルーツがあるひとがうらやましいです…(笑)
はらぷ Post author
AЯKOさん、こんばんは。
ほんとう、あこがれの「小股の切れ上がったいい女」(笑)
神保町の銭湯ですか、いいなあ!
そうですか、足を…。部位を褒めるところがたまらないです。
「今から仕事とは、夜のお仕事かい」って、言われてみたい。
夜の図書館員…なんか格好いいな(笑)
神保町ももちろん神田の町会のひとつですが、古書店組合のおじさまたちが神輿をかつぐのでしょうかね。
来年また行ったら、そっちもぜひ見てみたいです。
AЯKOさんは、妙にくそ度胸があるし(褒めてます)、不思議な色気もあるので(褒めてます)、今からでも神田でやっていける気がしますがいかがでしょうか。