春の匂いといえば
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あいかわらず、明けても暮れてもマスク、マスクの日々である。
それでも、春になると、さまざまな匂いがマスクの網目をかいくぐり、鼻腔に届く。
○1月の終わりころ、とつぜん空気がぬるみ、土の匂いを感じる朝がある。それを皮切りに、蝋梅、白梅紅梅、沈丁花、今時分花盛りのユキヤナギは、青っぽい匂い。
そのなかで、毎年春に必ず感じる、不思議な匂いがある。
時期はちょうど、沈丁花と同じくらい。今年だと、先週や先々週くらいに、とりわけ強く匂った。
どんな匂いなのかというと、それは「かんぴょう」の匂いである。
甘ったるいような、酸っぱいような、なんともいえない匂い。あまり、ずっと嗅いでいたい匂いではない。
今の町に引っ越してきて10年、駅に向かう道の途中で、毎年2箇所、匂う場所がある。
どちらも、地主さんの大きなお家の庭である。うちの近所には、昔からの農家の大きいおうちがたくさんあって、そういうおやしきの敷地には、植えたのだか、勝手に芽を出したのだか、たくさんの木が生えているものだ。
そうした木々のどれかが、匂いを発しているのだろうとずっと思っていたのだが、なにせ匂うのは春のほんのわずかな、せいぜい1、2週間程度のひとときで、しかも、風向きによってか、毎日匂うわけでもない。そんなわけで、毎年時期が過ぎれば忘れ、よく年「またあの匂いだ!」と思い出すということをくりかえして10年も過ぎた。いくどかは人に、「春に感じるかんぴょうの匂い」について、話したことくらいはあったかもしれない。ちなみに、オットは匂いそのものがわからないそうだ。(彼は金木犀の匂いもどうもわかっていないふしがある。)
去年のうちに、その2箇所のうち1箇所のおうちが、敷地改造の大工事をして、新しい母屋と集合住宅を建てたので、そこにあった木々はきれいになくなってしまった。その結果、今年はその場所で匂いが確認できなくなったので、やはり木の匂いなのだな、と確信を深めたものである。
そんな事情があって、今年はその匂いのことが、例年よりちょっと気になっていたかもしれない。先日職場で、私の自然科学の先生である同僚のTさんと、他館に配送する箱を用意しながらその話になった。ちなみにこのTさんは、この記事(2019年2月「はなをくんくん」)のなかで、保護猫に脱走されていたてんさいへんじんのTさんである。
「Tさん、今くらいの時期にさー、かんぴょうの匂いがする植物ってあります?」
と聞いてみると、Tさんは、
「かんぴょう?ガスの匂いとかじゃなくてですか?」とすぐさま言った。
ガス…?どっからでてきた?
でも、あの甘ったるいような、やや居心地の悪さすら感じさせる匂いは、ガスと言われればガスなのか…?
と私が言うやいなや、Tさんはその場から姿を消した。そしてしばらくして小さな植物図鑑を手に戻ってくると、
「ヒサカキじゃないですか?」と言ったのだった。
ま、まさか。何の気なしに聞いてみたのに、答えが返ってくるとは…。
えー!私の10年来の疑問が(といっても忘れ続けて10年来だが)、この一瞬で解決してしまうのか。そういう局面か!
知りたい、でも、知ってしまうのも惜しい気がする。でも知りたい!
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Tさんが開いてくれたページを見ると、細長い、濃い緑の葉っぱを持つ常緑樹が載っていた。ツバキ科ヒサカキ属。名前の通り、神社のありがたい葉っぱ「榊」の一族である。
春先に白い小さな花をたくさんつけ、それが独特の匂いを強く発する。ガスの匂いともいわれるほど。と書いてあった。
たしかに、いつも匂いを感じる場所は、敷地の北側に面していて、アオキや椿などの常緑樹が多い一角だ。
ひえー、ほんとうにこれなのかも。だったらTさんはほんとうにすごい。
というか、わたしこの7年Tさんと一緒に働いているのに、Tさんが自然科学名人だってこと知っていたのに、なんで今まで一度も聞かなかったんだろう!
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「かんぴょうって書いてないけど、なんかこれかも!」
と私が興奮していうとTさんは、
「ラーメンの匂いっていう人もいますよ」と教えてくれた。
ラーメン…?ラーメンとガスの匂いって…似てるんでしょうか。
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○その話をしてすぐの休みの日、さっそく件の場所にその「ヒサカキ」があるか確認しに行った。
○しかし、その目論見を阻むものが、そびえたつ塀である。さすが地主の家だけに、セキュリティに厳しい。塀が高いぞ!
塀はちょうど私の背の高さくらいあって、その上から顔を出している木々の中には、目当ての「ヒサカキ」らしきものは見あたらない。
○いまいましい塀め。これさえなければ、分け入ってひとつひとつの木を嗅げるのに。だが、当然のことながら塀は、そういう輩を排除するために存在している。
○うーん、決め手にかけるなあ…。でも、これ以上塀の中をじろじろ覗き込んでいたら、通報されかねない怪しさである。
そうこうしているうちに、1週間くらいもたつと、例年違わず、匂いはあまりしなくなってしまった。たった1週間、でも確実に季節はうつる。春はことに、その勢いは奔流である。
あーあ、確認は来年に先送りかなあ、と思っていた矢先、ふだん通らない道を歩いていて、「あ!あの匂いだ!」と私の足を止めさせた一角があった。
かんぴょうの、匂い!
私の歩いていた道の左側はマンションで、常緑樹の植木がならんでいる。
常緑樹!あやしい。このうちの一本か…?くまなく嗅ぎまわる私。ヒサカキの木は見あたらない。
こっち側じゃないのか…沈丁花も金木犀も、思いも寄らない方向で匂うことがあるから、ゆだんできないぞ。
そう思って道の反対側を見ると、そこは大学の敷地で、構内の端のうっちゃられた草ぼうぼうの中に、幾本か雑木が立っていた。
フェンスに取り付いてよくよく覗くと、その中の一本、緑の葉の中に、びっしりと小さな白い花をつける常緑樹があるではないか…。
これか、これがヒサカキなのか。しかし、ここに立っていても、件の匂いは感じられない。念のため、最初に匂いを感じたポイントに戻ってみたが、そこでももう、匂いは確認できなかった。
ちくしょう、風向きめ。私と木の距離、やく10メートル。フェンスさえなければ、直接花の匂いを嗅げるのに。私にできるのはただ、フェンスの柵越しに写真を撮ることのみ!
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でも、匂いを感じた道の反対側に、ヒサカキらしき木を確認できた(あとで検索して確認したら、幹の様子もヒサカキのそれによく似ていた)。状況証拠としては、かなり肉薄できたのではないだろうか。
しかし問題は、私には「かんぴょう」の匂いとしか思えないのに、誰もそのように形容するものが見あたらないことである(ゆいいつ、「たくあん」と書いているサイトをネットで見つけた)。
ああ、近くにいって、花の匂いを嗅いで確かめてみたい!
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春にひな祭りやお花見で、たまご、でんぶ、甘く煮たしいたけ、かんぴょうと並べて、太巻きを作る。私にとってはそのときの「甘く煮たかんぴょう」の匂いである。
ちなみにわたしは、かんぴょうも太巻きもきらい。
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by はらぷ
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※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。
※はらぷさんが、お祖父さんの作ったものをアップするTwitterのアカウントはこちら。
AЯKO
Tさん数分で回答できるなんて凄い人ですね!
私にはかんぴょうのようなガスのような匂い見当もつかないのですが、、、。
匂いってちょっと離れたところで、ふっとしますね。
私は近所の家の沈丁花の匂いが好きで、自分でも植えて大きくなってきました。
1年のたった10日だけ存在感を放って、春を知らせて、その後ただの緑の低木として或る、というところが良いです。ヒサカキも花が咲かなければ存在に気が付かれないのでしょうね。
買ってきた一年草は華やかだけど、宿根草や球根や木は季節の廻りを感じて愛おしいです。
はらぷ Post author
AЯKOさん
こんにちは。日に日に「春!」が濃くなってくる毎日ですね。
沈丁花、私も大好きです!
子どもの頃住んでいた家の庭にあって、毎年くんくん嗅いでいました。
ほんとう、春のわずかな時期だけ、白と赤紫の花におおわれて、あとはこんもりした小さな木なのですよね。そのたたずまいもいいよねえ。
ヒサカキの存在感は、やや独特(笑)
うちの庭は、日照時間に難ありで、なかなか多年草が育ちにくいのですが、球根類や地下茎の植物だけは、毎年息をふきかえし、庭をにぎやかにしてくれます。
今は、花韮、シャガ、草木瓜、クリスマスローズ、そして、山吹とコデマリと羽衣ジャスミンが準備中。
その後は…ドクダミ天国ですね(笑)