両親がきた
両親が訪ねてきている。
10月16日、午前0時12分。昨日今日と、海辺の町まで一泊旅行にいって、いまやっと一息ついたところだ。両親は「きれいだったねえ」と言いながら寝室に引っ込んだ。楽しんでくれたようでなによりである。
9日にロンドンまで迎えに行って、翌日ヨーク着、今日で一週間がたった。彼らにとってはおよそ10年ぶりの海外、生まれて初めてのイギリスである。写真を山ほど撮っている。
わたしはといえば、初日からすでにその予感はあったものの、今となってはほぼ30分おきに叫び出したい発作に襲われている。
とにかく、やつらはむかつく。
再三「モバイルデータ通信はOFFのままにしておけ」と言い聞かせていたのに、昨日になって父親が「こっちきてから充電がすぐなくなるのはなんでかなあ」と言い出し、いやな予感がして調べてみたら、知らんうちにONにしていた。こっちに来る前に、「日本を離れたらOFFにしておいてね」と言ったときは、「なにそれ?自分ではやりかたぜんぜんわからない」と言っていたのに、ONにはできるのか!何日そのままだったのかわからないが、いくら請求がくるのかおそろしくてとりあえず考えないことにしている。(検索や動画視聴などはしていないのが救い)
そして母親は、シャワーの使い方がいまだに覚えられていない。うちのシャワーは、つまみを90度左に回すとお湯が、右に回すと水がでる、きわめてシンプルな仕組みだ。使うときは左に回す、止めたいときはつまみを縦に戻す。簡単。しかしなぜか「止めるときは縦」という部分だけ記憶しているらしく、さらに90度下に回して縦にして、「シャワーが止まらない!」と焦り、どういうわけかバスルームごと水浸しにしている。「水浸し」にいたる因果関係がいまいちわからないが。「なんで下に回すの!」と言っても「ぐるぐる回していない、ちゃんと縦にしている」と譲らない。そういうときだけものすごく頑固である。「ぐるぐる回してない」のも、「縦にしている」のも、うん、ほんとう。ただ、逆に回してほしいだけだ。うちのトイレットペーパーがすべて水浸しになる前に。
そうした「わからない」ことの数々は、彼らにとってすべて「外国のしくみだから」ということになっているらしいのだが、お前の携帯はAUだし、シャワーのつまみに英語や外国式の要素はまったくない。しかし「わたしたち、わからないから」の魔力は絶大で、その結果、すべてを娘に頼り切るという状況になっている。
もうひとつの原因は、父親の性格である。学生のときに一緒にスペイン旅行をして以来、30年ぶりに思い出した、やつが、おそろしい心配性だということを。
先の予測がつかないことが不安なため、何を提案しても、「ええ…、べつに、いいなあ…」とまず否定から入る。じゃあ、どうしたいかと聞くと「いや、べつにちょっとのんびりとか…」…だからその「のんびり」の中身はなんなんだよ。そして、ふだん健脚なくせに、なぜかとにかく歩きたがらない。うちは町まで歩いて20分ほどの距離なのだが、毎日が「ええ…」の繰り返しである。興味がないわけでも、行きたいところがないわけでもない。とにかく、動き出すまでが不安なのだ。そのため、常に「次はどうするの?」と先のことを気にしている。見かけたお店をのぞいてみたり、知らない小道をちょっとそこまで行ってみようなどというものなら、もう「ええ…」「もういいじゃない」のオンパレードである。しかし行ってみたらみたで、「いい道だねえ」ということになったりするのだ。めんどくせえ!あまりのぼやきぶりに、オットは「おとうさんは、イーヨーだな…。」と言うようになった。
そしてその不安は、あるひとつの要素と直結していることに気がついた。
便通である。
どういうわけか父は、少しでも便通が滞ると不安神経症におちいるということになっており、案の定こちらにきて数日は、目に見えて憔悴していた。黙っていても、これは出てないな…という緊張感が伝わってくる。口をひらけば、「薬をのんどくかな…」「2錠のんどくか、どうする?」と母親に相談し、成否を報告していた。そのうち、母に「そういうことを人前で言わない」とたしなめられたらしく、その後は「まだでない」「ちょっと出た」と小声とジェスチャーで伝達するようになっている。ぜんぶ聞こえてるけど。
おならもよく出ているので、彼の腸の動きは活発である。わたしもわりとすぐにおならが出そうになる体質なので、これはぜったいに遺伝だ。ほんとうにむかつく。
いっぽう母親はというと、マイペースがさらにフルスロットルで加速しており、これまで以上に人のはなしを聞いていない。ぜんぜん聞いていない。興味しんしんでいろいろ質問をしてくるわりに、こちらが答えることばのすべてが、なんらかのバリアーで跳ね返されているかのごとく、届いていないのがありありと伝わってくる。どうも、受け入れ可能な答えの範囲というものがあらかじめ決まっており(しかもすごく狭い)、そこからはみだす説明はすべて呪文となる仕組みになっているらしい。なんとか説明しおえたあとに、向こうが投げてくる質問が常に「ふりだしにもどる」だった場合を想像してもらいたい。ほんとうにむかつく。
こちらに来て以来、ふたりは職場のキャンパスや図書館を見学しては写真を撮り(同僚のいない日曜日に連れていって正解だった)、ボランティアをしている図書館で写真を撮り、町でわたしの知り合いに会えば一緒に記念撮影し、家に帰ると、それぞれのスケッチブックに一日のできことをぜんぶ書き留めている。それを見ると、あれだけぼやいていたのに、一日の終わりには「いろんなものを見て、おいしいものを食べたよい一日だった」ということになっているらしいのが不思議である。
もうすぐ80になろうとする両親が、13時間のフライトを経て、元気で会いにきてくれるなんて、ありがたいことよ!
こんな気持ちになることだって、しあわせな証拠じゃない!
かけがえのない時間を味わって!
わたしのとこはもうできないので、うらやましいな!
後からみたら、それも愛おしい思い出になるにちがいないわ!
こうしたコメントの数々は、わたしの中の第三者がすでにひゃくまんかいくらい言ってきているので、もうだいじょうぶである。今の時点ではうるせーばーかなんである。ムカつくもんはムカつくんじゃ。わたしが娘でなかったら、きっと彼らとの旅は楽しいだろう。
明後日からの2日間、ふたたびロンドンにふたりを連れていく。いやな予感しかしない。
By はらぷ