オットが手術を受けたはなし

四月に入り、北の町ヨークにも押し寄せるように春がやってきた。時計も夏時間に変わって、もはや仕事が終わる8時になっても、まだ外はうっすら明るいのである(ほんとうはまだ7時)
冬の天気が悪い分、春の到来は劇的だ。太陽が、青空がおがめる!今年はとくに、この数週間雨のまったく降らない晴天が続き、これはいくらなんでもおかしいのでは…と人々が訝る事態である。夏中の幸運をいま使い果たしているんじゃないの…?
誰かが「ぜんぜん雨がふら…」と言いかけようものなら、全員が「シッ、みなまで言うな!」と言わんばかりに「Touch wood!」と手近な木を叩き始めるのが、じつにイギリス人ぽい。
桜の花もいま花盛りで、こちらでは(少なくともヨークでは)ソメイヨシノの木はとんと見ないのだが、かわりにありとあらゆる種類の山桜が町中のあちこちでたっぷりとした八重の花房をゆらしているのが楽しめる。白から濃いピンクまで、さまざまなグラデーションがあって、時期を少しずつずらして咲き続けるのがうれしい。淡いピンクの花けむりみたいにいっせいに咲くソメイヨシノもみごとだけれど、わたしはこちらの野生みあふれる桜たちもけっこう好きだ。
そして、スロー、アプリコット、梨、りんごと、バラ科の花々が可憐に咲くさまは、これぞこの世の春である。



というわけで、散歩にはぴったりの季節なのだが、こんなときにオットはヘルニアの手術を受けていた。
鼠蹊部ヘルニアといって、腰ではなく、体の前側にポコポコっと腸がはみだしてくるやつだ。少し前からだんだんそれが「気になる」のレベルを超えてきたので、お医者に相談していたのだった。
GP(かかりつけ医)の紹介で、大きな病院で診てもらったのが先月。手術をすすめられたけれど、ずいぶん待たされるんだろうな、と思っていたら、思いのほかすぐに手術日が決まって、こないだの日曜日がXデーとあいなった。
全身麻酔の内視鏡日帰り手術、術後は最低2週間仕事を休むこと。
オットは「仕事がいそがしい時期に…」と渋っていたが、病院の指定してきた日時を逃すと、次はいつになるかわからない。そこはみんな身に染みて知っているので、職場も問答無用で休暇をくれた。あったかい前あきのガウンと靴下を持ってくるよう言われる。しかし、全麻なのに日帰りとは!
当日は7時半にチェックイン、町はずれの病院まではタクシーで10分程度で着いた。
ここは、1976年に近隣の大小の病院を統合してできた総合病院で、中は改装されているものの当時のままの躯体は、いかにも「近代病院建築!」という感じだ。天井の低い、入り組んだリノリウムの廊下を通ってDay Unitという日帰り手術を行う棟に向かう。
廊下のところどころに、中庭が設けられていて、その憩い演出感がまたすごい病院ぽい。
受付をすませて待合室で座っているとすぐに名前がよばれて、オットはあわてて看護師さんのあとについていってしまった。
えーと、これだけ?このあとわたしはどうすれば…?
受付の人に「この後、手術の前にもう一回会えたりしますか?」と聞いてみると「ざんねんだけど、ここまでだわねー」と言われてしまう。
そうだったのか!しまったそれだったらもう少し熱心に送り出すんだった…。
終わるまでどのくらいかかるのかも聞いてみたが、「手術の順番にもよるけど、いちばん早くてお昼すぎだわー」とのこと。「いったん家に帰ってもいいし、ここで待っててもいいけど、院内のカフェは9時オープンよ」
帰る準備ができたら、電話をくれるらしい。
気づくと、オットと一緒に呼ばれていった別の患者さんたちの家族も、「そうだったのか」という顔で聞いていたので、あっけにとられたのはわたしだけではなかった。だれともなく、「Good luck then!」「See you later」と言い合って待合室を出る。
時間はまだ7時半、お昼までだいぶあるとはいえ、あんまり遠くには行きたくない気持ちだ。
長い一日になりそうだなー。
外に出ると、ちょっと風は冷たいけれど天気がいい。カフェもお店もある中心部まで歩いても15分くらいだけど、なんとなく足が向かない。
病院と町までの間には、わたしが働いている大学図書館がある。その建物が見えたとたん、思わず館内に入ってしまった。
何をしてるんだわたしは…。休みの日だというのに。
今日は日曜なのでだれも出勤していないけれど、館内には勉強しにきた学生がちらほらパソコンに向かっていた。
カフェが開くまで、ソファーで本でも読むか。勝手知ったる場所に来て、ちょっと気持ちがおちついた。なんだ、わたしときたら、不安なんじゃないの。
充電しようとして、備品の充電タワーが故障していることに気が付く。要修理だわこれは…明日出勤したら報告しなければ。
…なにをしているんだわたしは!
ちょっと時間をつぶすつもりが、思いのほか長居してしまった。うっかり勉強までしてしまったし。こういうとき、わたしって保守的でこわがりで真面目なのだよなあ、としみじみ思う。昔はそういう自分がきらいだったが、いまはもう、「そういう性格なんで」と受け入れる気持ちになってきた。
その後、近所のカフェに入って、あにはからんや心癒されない出来の朝食を食べ、近くの公園の芝生でまた本を読んだ。

イースターも近いお天気の日曜日、町は観光客でいっぱいだろうけれど、ほんのちょっと外れたここは、別世界みたいだ。ブラックバードが春を謳歌している。
6月にこちらに遊びにくることになっている友人から、飛行機やホテルの手配についてメッセージが入り、しばしやりとり。
楽しみな未来と、不安な現在が並行して立ち現れて、もう少し後になったらこの時間も「過去」になって、あのときこんなふうだったなあ、と思い出すんだろうか、と考える。そのとき、楽しみな未来がまだそこにありますように。いやいや、そういうことを考えるんじゃないよ!ちょうど『時の旅人』(アリソン・アトリー/作)を読んでいるからこんなふうに思うのかな。
1時を回ったのでいったん病院に戻ってみたが、待合室は閑散としていた。朝に見かけた女の人が一人座っていて、「奥にナースステーションがあって、様子を聞けるよ」と教えてくれる。妹さんが甲状腺の手術を受けたそうだ。「今リカバリールームにいるんだけど、中に入れてもらえないの、もう朝からいったりきたりして疲れちゃった!」と笑った。
命にかかわる手術じゃなくっても、やっぱり誰もが不安なんだ。
ナースステーションで看護師さんをつかまえて聞いてみると、オットはまだ手術室にいる。けっこう待たされたんだなあ。ということは、あと2、3時間は確実に退院はない。院内のカフェで時間をつぶして、3時過ぎにまた戻る。

それからは、待合室で過ごした。あいかわらず人気のない待合室の大きな窓からは、中庭が見下ろせる。無機質なレンガの建物と古いアルミニウムの窓枠に囲まれた四角いオアシスには、植え込みとなぞの金属製のオブジェが配されていて、いかにもミッドセンチュリー、ちょっと共産圏の病院っぽい。白衣のポケットに手を突っ込んだ医者が、休憩時間にタバコを吸っていそうだ。

室内のテーブルには、いくつかの「ナショナルジオグラフィック」のバックナンバー。
暇にあかせてページをめくっていたら、アフガニスタンの記事があって、なんだかへんだな、と思って表紙をみたら、なんと2003年の号だった。9.11後、タリバン政権が倒れてカルザイ新政権が誕生、これから復興をどうするか。記事の中に書かれている、今後予想される途方もない困難とわずかな希望、アフガンの「今」。彼らが知り得ない22年後の「今」を、わたしは知っているのに、それなのになす術がない、そんな奇妙な気持ちにおそわれる。
若い女の子がひとりやってきて、「どうすればいいかわからないから、とりあえず戻ってきてみたんだけど、ここに来れば誰かに聞けると思って」というので、
「あはは、わたしもです。奥のナースステーションで聞くと様子を教えてくれるよ」と、さっきの女の人が教えてくれたことをパスしてみた。朝にお母さんらしき人といっしょにいた子だ。
そのうち、いくにんか見知った顔があらわれて、手術を終えた家族を出迎えて帰っていった。うちのオットもはやく帰ってこないかな。
リカバリールームから病棟に戻ってきて、心配なければもうすぐ、と聞かされてから、ずいぶん時間がたっている(ように思える)
なんか食べるものが出るって言っていたけど、うっかりチアノーゼ起こしたりしてないか?
麻酔が効きすぎて、昏倒したりしてるんでは。
ろくでもない想像ばかり浮かんでしまう。こんなことでは、これからやってくる本格老後ライフはどうなることやら!
窓から入る午後の光が、徐々に黄色味をおびていって、「様子をもう一回聞きにいこうかな、どうしようかな」と50回くらい考えたころ、携帯に電話があり、それからしばらくして、看護師さんにつきそわれたオットがよろよろと登場した。若干ぼんやりしているが、思ったより元気そうだ。
帰りのタクシーの中で、「何食べたの?」と聞いたら、「トーストと紅茶、バナナ、あとキットカットもらった」とのことだった。なんかすごいイギリスっぽいな!
患部のガーゼは72時間後に自分で取る、10日間は血栓防止の注射を自分で打つこと(!?)
えーーー!!練習したの!?と聞いたら、「してないけど、看護師さんがやりかたを教えてくれた」とのこと。イギリスの患者ライフは楽じゃないぜ。
痛み止め、便通を助ける薬は、薬局で自分で買うらしい。医療費は無料(100パーセント保険適用)だけれど、市販の薬で事足りるものは自腹なのか。おもしろいなあ。
この記事を書くにあたって、昨年の4月の記事を読み返してみたら、去年の今頃わたしは、春の訪れとともに、見えない未来におののいていた。
もし去年のわたしに、「あんたのオット、来年の今頃ヘルニアの手術してるよ」と告げたら、一年間そればっかり考えて過ごしただろうけれど、未来を知ることができないばっかりに、1年間それなりに元気に暮らし、目の前に出来したできごとにその都度なんとか対処してこれている。
動物のたくましさだなあ、と思う。
今カタカタとパソコンをたたいているこのわたしも、はしから過去になってしまう。この年になると、未来ってほとんど「死」って意味だ。でも、だいたいはそんなこと忘れて、生きていくんだ。
オットはおかげさまで元気にしていて、医者から言われた「トマト缶より重いものを持ってはいけない」というのを忠実に守っており、ちょっとだけいらいらする。歳をとると回復が遅いので、筋肉が落ちないように運動をさせなければいけない。
Byはらぷ