〈 晴れ、時々やさぐれ日記 〉 ああ、雑誌。異化と同化のあいだ
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
金曜の午前中、二か月ぶりに美容院に行った。昨年の夏、それまでの髪を切ってショートに変えた。短くしてラクになった部分と、短くして面倒になった部分がある。
美容師さんとは10年来のお付き合いだ。彼女は、10年前は大きなお店のスタッフで、その後少しのブランクを経て独立をした。わたしもその間、あちこちのお店をわたり歩いたけれど、彼女が一人で小さなお店を開いているのを見つけたときはほっとした。
「えっと今回は、なんちゃってクリステルでお願いします」「ああ、それいいですね」。彼女は「なんちゃって」のところをいじらない。「いいですね」という口調がとてもすがすがしいので、厚かましいオーダーをしたこちらの気分も軽くなる。後は野となれ山となれの心境であれやこれやとおしゃべりをし通す。
若い頃と比べ、髪が細く少なくなった。そのことを言うと「うーん。たしかにそうですね」と親身に相談にのってくれる。「そんなことありませんよ」と言われるより心地よい。
女性用かつらや、病気で脱毛された方のはなしにもなる。彼女はまだ30代だけれど、彼女の話しぶりはウエットでもドライでもない。「こんなこと言ったらいけないんでしょうけど。みんな、ひとつながり、ですからね…」
一人のお店、という良さもある。いや、それより、彼女のよさがわたしにはまさる。
「美容院でリタッチを頼んだことある?」。ママ友との会話で話題になったことがある。「ゼンゼンない」というひとと、「あんまりだから行った」というひととがいる。わたしはたぶん、リタッチの多い方のお客だと思う。カットやパーマから数日たって、自分でシャンプーやセットをした後でどうしても気になることがあり、自分のハサミではおよびそうにないと感じると「ここだけちょっと直してくださる?」とお願いする。
わたしが美容院を選ぶとき、このリタッチがスムーズかどうかは大事なポイントになる。ちょいちょいと直してもらって「ありがとう!」と言える関係が、わたしにはベストな関係だ。
美容院から出たてで、そのまま誰かに会ったり、込み入った用事をしたり、ということが苦手だ。「うん。よくなったわ。ありがとう!」とお店を出ても、気持ちの半分は実は少し落ち着かない。「我ならぬ我」的な、カット仕立てのアタマは、まだ自分の中身との一体感が薄い。できるだけ人と会わない用事をすませ、早々に帰宅する。金曜もまっすぐ帰るつもりが、なぜかふらっと、「久しぶりに雑誌でも見てみようか」という気になった。
数年分の雑誌を処分すると、11月号と3月号が多いことに気づく。季節の変わり目だからなのか。10月や2月あたりに生活に倦んでいるためか。空疎を手っ取り早く埋めようとする本能か、理由はよくわからない。
美容院で紅茶とともに差し出されたのは、「エクラ」と「天然生活」だった。「天然生活」の、朝食の特集が興味をそそった。中でも豚肉のリエットがおいしそうだったので、わたしは髪をカットされながら、うちの冷蔵庫の豚肉のことを考えていた。「エクラ」の中では山本容子さんを見た。山本さん、やっぱり素敵だ。
30代の美容師さんに「GOLD」のはなしをしたら、「ああ、そう言えば本屋さんが持ってきてました。うちではどうかな、と思って、結局持って帰ってもらったんですけどね」とのことだった。
さて、帰りに立ち寄った近所の本屋さん。「GOLD」、創刊号とはいえ重すぎる。中身をパラパラとめくってみて、これならわたしはまだ「プレシャス」の方が好みだな、と思った。記事そのものよりも、雑誌という物体から漂う「気」が重すぎて、お呼びでなかった。「異化」なんだな、「異化」をめざしてるんだな。そこがまず相容れない。美容師さんの「うちではどうかな」は、正解だと思う。
どうせお呼びでないのを見るのなら…、今度は「家庭画報」と「婦人画報」を眺めて見た。ざっと見た印象が「文化面」重視、モデルさんを使ったファッションページが少ないことが、その他「女性誌」との大きな違いのように見受けられた。
うーむ。読者の対象年齢があがっていくと、モデルさんを使ったファッションページや、メイクページは自然淘汰され、代わりに「文化」が台頭するのかーと妙な感懐にふけった。それぞれの雑誌で特集が組まれている名旅館やフレンチは、11月号であっても年末特集号のようで正直胸がやける。うんと昔なら更新し続けただろうその手の「憧れ」方面の情報も、今はもう「ゆく川の流れは」の心境で留めおこうという気にならない。「美しいもの」「美しいこと」、何か別の切り口ってない?
そうそう今月は、ミセスが創刊記念号を出していたはず。何年か前のウイリアム・モリスの生地の付録はよかったから、今回もあれ、やってないかな?
果たして、「ミセス」にモリスの生地はあった。「ミセス」は、ファッションページと文化面とのバランスが程よい感じだった。ファッションページは保守的で、あまり新鮮さは感じられず、「そうそうこれがミセスよね」とおかしな自分評をする。「モリス生地」「モリス特集」「梨木果歩エッセイ」「ホルトハウス房子さん」…と好物が揃ったので「久しぶりに買おうかな」という気になって、裏表紙を返して見たところで書棚に戻した。雑誌にこの値段は高すぎる。
夏からずっと探している日本版「KINFOLK」は、山口では扱わないのだろうか。どこへ行っても見かけない。あああ、珍しくお財布が開きかかったというのに。「読み物」なら、図書館からの本が数冊ある。ひとり昼ごはん、の相手をしてくれるような、何か程よい本はないかな。
こういうとき、目は未練がましく書棚を彷徨する。つまんないなー、と書棚を立ち去ろうとして、「身軽に暮らす もの・家・仕事、40代からの整理術」という背表紙が目にとまった。ぱらぱらとページを繰って、「あ、こっちこっち」とレジへ向かった。吉本由美、枝元なほみ、山崎陽子…。それぞれの方の「一日の時間割」とか「年表」とか。普段の暮らしのこなれた感じの写真とか。実家の母なら年寄りくさいと一蹴するだろう。だが、今のわたしはこれが好物。やれ、嬉し。やれ、楽し。
著者の後書きにこうあった。
「自分らしくありたい」と思える気持ちは、「自分でいるしかない」と、認めたことからはじまっている。あらためてそう気づいた時、年を取るのもいいものだなあと。やわらかな気持ちになった
たとえ状況が変わっても、“自分をご機嫌にする力”を持っているのが、身軽な人たちの共通点。みなさんの話を聞くうちに、年齢にかかわらず、好きなことをどんどんやっていけばいいのだと、あらためて思えるようになった
結局1時過ぎ、ひとり昼ご飯の友と帰宅。微妙な頁の厚みはテーブルの上で開いたままにするには工夫がいる。光る紙面は、最近読みにくくなったので余計に。あーして、こーして。ほら、これでいい。
遅めの昼ごはんをゆっくりすませ、食器を片付けたあと、鏡を見る。鏡の中には「クリステル」ではなく「老けたサリーちゃん」がいた。ああ、おかしい。ま、いっか。
あずみ
こんにちは! あぁなんてすてきな美容師さん!その美容師さんにカットされたいー。
私もサヴァランさんとまったく同じ行動を繰り返し、結局雑誌がお会計カウンターまで運ばれないようになってしまっています。でも、「整理術」とかみると燃えちゃう。とくにこの下半期後半にさしかかると。。。
著者のあとがき、ほろりときました。あぁ、わかる。そうありたい。
それから、「老けたサリーちゃん現象」にも共感! だって、私、カットして帰ってきたら、ケロロ軍曹に変身してた。美容院の鏡じゃそんなことなかったのに。ぐすん。
サヴァラン Post author
あずみさま こんばんは!
そうなんです。彼女は若くて素敵な美容師さんなんです!
おまけにとってもかわいいんです!
カットはもともと上手なので文句もないのですが、
今回のように「あれれ?ちょっと違うなー」というときも
「彼女のことだから、ま、いっかー」と思わせるかわいさです。
あ。「ちょっとちがう」のは、「本体」に理由があるのでした^^
「整理術」、燃えますか^^?
わたしはいま、自分の誕生日をまじかにし、
「46歳の棚卸」の真っ最中です。無駄なもの、出るわ出るわ。。。
「身軽に暮らす」の著者は石川理恵さんという70年生まれの方です。
あとがき、いいですよね。。。
あずみさん、ケロロ軍曹って、おお!平成ですなー。
わたしは美容院に行く前はダースベーダ―でした!