〈 晴れ 時々やさぐれ日記 〉 ああ、街の「コンシェル」さん。鋭さと緩さのあいだ。
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
昨日のカリーナさんの記事で、「うわっ、なつかしー」と思いました。
「駅の牛乳スタンド(というのがあったかわからないんだけど)」 。あった!あった! 森永とかバヤリースと書かれた冷蔵庫の前で、オロナミンCなんかの茶色の瓶を、くいっと飲んで「んじゃ!」と立ち去る飲み物コーナー。自販機にはない、双方向の「ありがと!」が聞こえる場所。
むかしの駅って、思えばすごいところでした。むかし、わたしは子どもでしたので、100センチそこそこの目線から見る駅という場所は、なんというかその、人間という生き物の猥雑さを鉄道をつかってじゃんじゃんかき集めてきたような そんな場所でした。
記憶にあるのは母に手をひかれたデパート帰りの光景です( ああ、筋金入りのデパート狂 )。「もっと早く帰らなけりゃいけなかったわ」そうつぶやく母のヒールの小さいかかとを追いながら、夕方の帰宅ラッシュにかかるまいと駅のコンコースを急いだけれど、あいにく電車は出たばかり。ホームでの待ち時間はいろんなものが目に入りましたっけ。見たいもの、見てはいけないもの。険しいもの、緩んだもの。
「の・り・ほ」と書かれたナゾのポスト。何度もペンキを塗り重ねた鉄骨の骨組み。かすれた文字の伝言板。読み捨てられた新聞紙。どこかのお社中が生けられたお花。汚れた洗面台。
めったにないことでしたが、ホームの売店でいちご牛乳を買ってもらうことがありました。子どもの目線からはかなり高いところにいる売店のおばちゃんが、飲みものの入った冷蔵ケース越しに「はい、どうぞ」と手渡しくれるときのワクワク感。「はい、どうぞ」のひとつ手前のおばちゃんの動作が、子どもの記憶に鮮やかです。
おばちゃんは、天井からビニール紐でぶら下がった緑の柄のキャップ外し(?)で、くいっと牛乳瓶の紙ブタを開けてくれました。フタが勢いでどこかに飛んで、「あれ?」と思っているうちに「はいどうぞ」とズームで差し出されるいちご牛乳。
いちご牛乳を飲んでいるあいだ、おばちゃんが他のお客さんとおしゃべりするのを見るのが好きでした。新聞やたばこを買いに来たおじさんと わたしの頭の上の方で交わされる会話は、中身がなんなのかはわかりませんでしたが、お互いホームの遠くの方に目をやりながら、えらく歯切れのよいコンパクトな会話がなされている印象でした。「んじゃ!」と片手を挙げ、新聞を小脇に立ち去るおじさん。「はいどうも」と笑顔で応えて、商品の並びを整えるおばさん。
大人の「んじゃ!」って、ばかにかっこいい。
わたしはあの頃、そう思っていました。
わたしがよく行く近所のスーパーの入り口には、フランチャイズのクリーニング屋さんの窓口があります。スーパーは大学の近くにあるため、学生さんの利用が目立ちます。わたしはここのクリーニングを利用していませんが、このスーパーもこの入り口も、それほど大きなものではないので、カートを取りながら、そこにかごを置きながら、いつもな~んとなくこのクリーニング屋さんの様子に気をひかれています。
窓口のおばちゃんは小柄な方です。一見したところ、ものすごいおしゃべり好き、という印象はありません(ワタシ調べ)。折々訪れるお客さんと小さなカウンター越しにやりとりをし、小さなバックヤードとカウンターのあいだをいつもくるくると往復されています。
わたしはもう10年、このスーパーに通っているので、このコーナーの季節の会話も、うすーくあさーく、耳にしています。春、馴染みのお年寄りの方とお花見スポットの会話があります。梅雨時、単身赴任とおぼしき中年の男性客と「はい、急ぎにしときますね」という会話があります。合間合間に訪れる学生さんたちが、はじめはむっつりとぶっきらぼうな様子だったのに、夏を過ぎ就活用スーツを出しにくる頃には、彼らは用事がなくても「ちわーっす」とおばちゃんに挨拶をするようになっています。
一度、濡れた床で転んでしまわれたお年寄りのお手伝いを、おばちゃんとわたしでしたことがありました。以来、わたしもスーパーに行けば挨拶をします。
年度末、首からぺこっとお辞儀する男子学生に「じゃあね。がんばってね。お母さんによろしくね」とおばちゃんは糊のきいた声で言います。
かっこいい。
あのスーパーの入り口は三つ。 このコーナーが一番温度があります。 一度、撤退が噂されたスーパーの売り上げにも、おばちゃんの存在がゼッタイ貢献してるはず。
だったらさー、ここのクリーニングにお願いすればいいじゃん。 わたしの中のA子が言います。
でもさー、こういう距離で、この光景を目にしていたいじゃん。 B子が言い、
めんどくさっ と言うのはC子です。
子どもの頃の記憶にある駅の売店のおばちゃんも、今ちょこっとだけ挨拶をするクリーニング屋さんのおばちゃんも、あのカウンター業務はすごいんだよなーと、わたしはしみじみ思います。 「こんなときに」という具体的な事例を、今ここで思い出せなくって悔やしいんですが、たぶんどちらのおばちゃんも、いわゆる「仕事」の枠をときに超え、街の 目に見えない 声なきSOSに、瞬間スーパーマンスーツでアクションしてるはず。「いいからいいから」って。
どちらのおばちゃんも、ほんの一瞬ちょっとした手すきのあいだ、遠くを見る視線に鋭さがあります。険しいのとは違う鋭さ。緩さの中の鋭さ。ぎゅっと凝縮された独特な視線。
かっこいいカウンター業務は、凝縮された視線の「瞬間解凍」のような気がしてきました。
はいどうぞ、と言葉を添えて手渡された瞬間の温度。その温度に手ごたえを感じて、ああどうも、とこちらが応えるときの間合い。
はいどうぞ、ああどうも 。
間合いの達人の「街のコンシェルさん」、 みなさんの身近にもいらっしゃいませんか?
聞きたいですぅ 聞きたいですぅ、「街のコンシェルさん」の動静。
「はいはいいますよ~。」
「ここだけのはなし、わたしもそうよ~」とおっしゃる方。
どうぞ こちらの記事から情報をお寄せください。
やさぐれサヴァラン152㎝、つま先立ちでお待ちしてます!