〈 晴れ 時々やさぐれ日記 〉 ああ、オムライス。融合と分離のあいだ。②
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
「ねえねえ、おかあさん、知ってた?字を習う順番、あれ、ほんまつてんとうなんだよー。」
10歳の子どものはなしは突飛すぎて、飲んでいたお茶をこぼしそうになります。
まず紀元前に漢字が中国で作られるやろ。その漢字が日本にも伝わるやろ。ひらがなとカタカナはその漢字からやろ。カタカナの方が少しだけ先に作られたって、おかあさん知ってた? カタカナの「ア」は近所の阿部さんの「阿」のこざとへんのとこからやろ 。ひらがなの「あ」は安全第一の「安」を簡単にしたんやろ。 でもさー、一年生で習うのはまずひらがなじゃん。ひらがなのあとカタカナじゃん。そのあと、漢字じゃん。この順番って、「ほんまつてんとう」じゃない?
あー、それおもしろいよねー。でもさー、きみが言う、文字を習う順番が「本末転倒」ってのは、そりゃ「本末転倒」の使い方の間違いよ。順番がちがうってことと、大事なこととささいなことが入れ替わるってことは違うからねー。でもでも!おかあさんも平仮名と片仮名の成り立ちを知ったときは、たしかにきみみたいにびっくりしたっけー。
先週の「オムレツ→オムライス」のはなしから、息子の「本末転倒」の誤用のはなしにつなげようとするところが、わたしたち親子のあいだに連綿と流れる頓珍漢遺伝子のあかしと申しましょうか、なんと言いましょうか、もごもごもご。。。
形体や順番がひっくりかえる、というのは「オムレツ→オムライス」に限ったことではないよな、ということが言いたいのでございます。そしてこの、ひっくりかえるという現象が、意外に快感を喚起する、ということも申し上げたいのでございます。そう。先週書かせていただいた、伊丹十三氏考案の「タンポポオムライス」のように、内側と外側がひっくりかえるという現象は、はー、ほー、そうか!という展開がうれしかったりいたします。
たとえば稲荷ずし。(なんで?)。わたしの育った名古屋圏では、一般的なお稲荷さんはお揚げが「表」のまま。ところ変わって別の文化圏に入ると、お揚げの「表」と「裏」がひっくりかえる。
たとえば和食の鯛の子。春に筍やわかめなどと炊き合わせにすると美味しい食材ですが、あれが「ひっくりかえり系」の料理だったと知ったときの軽い衝撃。
たとえば袋物のお裁縫。もともと中表で縫っているとはいえ、完成時にえいやっと表裏をひっくりかえしたときの ゆくりなき達成感。
過日、このサイトの「いろんな言葉」というコーナーで、わたしは作家の田辺聖子さんの文章を引かせていただきました。
「 生きて、愛して、人生を楽しむこと、それがまず根本にあって、それを守るため政治も経済も法律もあるのである。お金も若さも美しさも、音楽も本も、そのためなのだ。 今はもうみんな、ひっくり返ってしまった。本末転倒になっている。 私としては、声を嗄らしてメガホンで屋根の上から叫んでも、誰も聞いてくれないのだから仕方ない。 もう、かくなる上は一々面倒を見ちゃいられない。私個人だけでも、そう生きるのだ。 まいにちの生活を大事にし、好きな人にかこまれ、チョコレートを楽しんだり、バラやレースの服を愛したりして、人生を終わるつもりだ。」
田辺さんのこれ、諦念の宣言ではないとわたしは思っております。「かくなる上は一々面倒を見ちゃいられない」「私個人だけでも」とおっしゃってはいますが、あの方の作品を通して伝わるものは、「生きて、愛して、人生を楽しむ」こと。末より本の厚手の滋味。
先日のNHK「あさイチ」で、「専業主婦」がテーマに上りました。番組は国会中継による短縮版。「専業主婦」をめぐる種々の声を拾い、いわばパンドラの箱を開けたままの状態で番組は終了。開けたら閉じよう。わたしは思います。「視聴者のみなさんがこれを契機に何かを考えていただけたら」というスタンスは、わたしははっきり言ってキライです。あ、この発想は月亭つまみさんの「作り手の姑息さと、受け手の思考停止を助長してるだけなんじゃねーの?」につながります!ヤッホー。つまみさーん。
働く女性と専業主婦のあいだには、長い論争が横たわっています。(例えばこれなど→ ★)。論争の内容は、女性の生き方に関する価値観の問題のほかに、社会制度の変遷の問題が複雑に絡んできます。価値観の問題と社会制度上の問題は、きちんと整理して論じられるべき、とわたしは思います。そこを整理しないまま、女性同士を対立させるような曖昧な論調を続けることは、平成の現代においてあまりに知恵がなさすぎる。
そもそも、この問題に着手するにあたっては、「生きて、愛して、人生を楽しむこと」と「政治、経済、法律」「お金、若さ、美しさ、音楽、本…」の三者の位置づけについて、まずは腰を据えてみっちり話合ってからにするべきなんじゃぁないですかい、と、わたしは考えます。
中島さんが書いてくださったこの素敵なケーキ↑。ケーキにあたるのは何で、足つきのトレイにあたるのは、何なのか?そこのところ、考えたい。
はなしがまたひっくりかえりますが、わたしはつくづく思います。「たまごって女性よね」と。お料理におけるたまごは、これがまあ、変幻自在。メインにもなれば脇役にもなる。単体で存在感を表すこともあればつなぎの役割もする。煉瓦亭のオムライスにいたっては、ライスもお野菜もいろんなものを内包する。たまごはときに乳化なんていうすごわざもこなす。フランス料理の世界では「オムレツにはじまってオムレツに終わる」って言うし…とまあ、たまごのしごとは種々さまざま。卵料理って、ほんとにバリエーション豊富です。
その中から、どの一皿を選びとるか。きっぱりとした理由があることもあれば、なりゆきという柔らかな選択だってある。ひとは悩み多き生き物ですから、お隣が選んだお皿がうらやましくなることもある。「これ」と選んだはずの自分のお皿が味気なく感じることもある。でも!もう半分食べちゃってるし。これはこれでおいしいわけだし。
ねえねえ、そのお皿おいしい?。おいしいわよ。そっちはどう?おいしいわよ。ちょっとはなし聞かせて。うん、そっちのはなしも聞かせて。
そういうテーブルが理想です。分離ではなく、ここはやはり融合。勝ち負けとか優劣であいだを隔てる殻なんてコツンと割ってポイっと捨てちゃえ。
まろやかになめらかに、人生を味わいたいものだとオムライスを前に思います。
こ~ら~五年生~、さっさと漢字の宿題すませなさい~。
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つまみ
ヤッホー。サヴァランさーん。
引用していただいたから書くわけじゃ全然なくて、今回もすごく面白かったです。
実のところ、私も既成概念や固定観念にバリバリ囚われているひとりですが、そういう自覚があるからこそ、ほんまつてんとうやひっくりかえす意味や意義がわかるのだわ、と今、勝手に納得しました。(ルールブックは自分だ!状態)。
なににつけ、自分の感覚に変換するって大事ですねー。
ついつい、物事を見流し聞き流してきまりきった鋳型に嵌めてしまいがちですけど、視野狭窄に陥らないように、ちょっとした違和感や引っかかりを大事にせねばいかんなあとあらためて思いました。
そういえば、育休を3年に増やすとかなんとかの話が出てますが、さっきTwitterを見たら、「欲しいのは長い育休ではなくてぼちぼり続けられる環境」とあって、なるほどなあと思いました。
そうそう。
サヴァランさんの文章を読むと誰かを思い出す、と思ったら橋本治でした。
つまみ
「ぼちぼり続けられる」ってなんだよ!?ですね。
新語ではありません誤字ですぼちぼちです。
村上春樹の新刊(194頁)にも誤字があるんだから、ぼちぼりぐらい・・。
サヴァラン Post author
ハイホー。つまみさん。
コメントありがとうございます(涙)
えーそうですか?つまみさん、囚われの方ですか?
自由闊達、融通無碍と
羨望とともに拝察しておりますですよー。
わたしは周囲のニンゲンに言わせれば
「イチイチ立ち止まりすぎー。
無駄すぎる観察日記365日×46年オンナ」とのこと。
…ナットク。
育休3年はどこからの声が聞こえてしまったんでしょうね。
「ぼちぼり継続」は、たしかにリアルに聞こえています。
「女性だけじゃなく、男性の育休強化!」という声も大きい。
村上春樹の新刊194ページ
「ちっとずつ」の「ょ」抜け、チェックしてきます!
「ぼちぼり」はこのまま新語大賞に。
あ。サヴァランの新語大賞という局所的受賞ですみません!!