真面目キャラ卒業?
だんだんと春らしくなってきました。この時期地面に咲く小さな花(多分ハナニラ)が案外好きなのです。が花言葉は「悲しい別れ」「耐える愛」「恨み」「卑劣」・・・えーなんで。花の色が儚げな色をしているので悲しい印象があるらしいのですが、わたしは可愛くてなにかたくましくて好きです。
先週、娘からは頼られず、マメオ君からは頼られすぎてイライラするということを書きました。家族のことは自分だけで悩んでもどうしようもない時もあります。そもそもわたしは学生時代は超真面目(多分?)。校則は必ず守り先生に怒られるようなことは絶対にやらない。成績は中ぐらいでクラブ活動(軟式テニス部)も休まず参加し、そこまで強くないがレギュラーの座は確保するという地味な学生でした。でもそれは無理やりそうしていたわけでもなくわたしの中では普通のことでした。人生コツコツと真面目に生きて普通に結婚して子供産んで60過ぎたら仕事辞めてカルチャー教室と温泉旅行。真面目に生きていれば自然とそういう人生になるのではないかと10代の頃は思っていました。
高校3年の時に進学か就職か悩んだ結果就職。バブル期だったので高卒でも大手企業の事務職につけました。週末の飲み会は上司におごってもらい、夏はテニス合宿、冬はスキー。海外旅行に国内旅行。楽しすぎて当時の婚期よりは少し遅れて27歳で年下の元旦那と結婚。子供も生まれて楽しく過ごしていたのにバブル崩壊で元旦那の職種が変わり転勤。このころから人生が大きく変わってきたような気がします。転勤先は元旦那の実家のある東北地方。旦那の両親にも気を使いながら知らない土地で子育てしていた時に徐々に夫婦生活にも亀裂が・・・その時もわたしは真面目に生きてきたそのわたしが離婚なんてしてはいけない?と変な思い込みをまち我慢していたけれど母からの助言もあり離婚して関東に戻ってきました「真面目なわたしが離婚してはいけない」という変な思い込み。これも真面目さからのプライドなのかもしれません。
真面目でなければと強く思ったことはないけれど、これもわたしの個性?以前の職場でも「真面目にコツコツと働く姿はきっとこれからも役に立つでしょう」・・・なんて移動の際に上司からコメントをもらいました。そもそも真面目と言う言葉が誉め言葉なのか微妙なところもあります。大人になってからは適度に羽を伸ばしているつもりですが、それでもどこかでこれをしたらどうなる?とかわたしがやらなくては?みたいな気持ちを持ち続けています。マメオ君の介護や子供たちのこともそうです。自分がやらなくてもどうにかなることなんていっぱいあるんです。自分でもそれはわかっているのになかなか自分を変えられません。今年は真面目な自分を捨てて変なプライドやこだわりも捨てて自分のやりたいことをいっぱいやろう!と先月も誓いましたが先日の娘の離婚の件であらためてそう思いました。
いちばん捨てたいのはお腹のぜい肉なのですがこちらはなかなか手ごわいです。
この記事の投稿日は勤務する学校(先生ではありません)の卒業式です。わたしも真面目キャラを卒業して自分らしく進んでいきたいです。