路地が好き
ホタルが飛び交い始めた。湿り気を帯びた風が吹いている。梅雨入りも間近だろうか。
私の地元は、県庁所在地ではあるけれど、こぢんまりとして情緒豊かな町である。温泉が湧き、教会の鐘の音が一時間おきに時を伝える。古くに栄え、戦災に遭わなかったため、町の区画が昔のまま残っているところも多い。
この町で育った私は、大の路地好きである。子供のころは、学校から家まで歩いて10分の距離だったにも関わらず、帰宅に一時間以上かけ、担任の先生から “道草の女王” の異名をもらった。通学路なんて無視して、友達と小道をずんずん歩いた。土手のツクシをとったり、塀越しに他人の家のグミの実をとって食べたり、給食で残したパンを野良犬に与えたり。路地は人が少ないから、子供たちのパラダイス。ボール遊びをしながら帰ることもしばしばだった。ああ、楽しかったな。
自分の生活圏を一歩出ると、新しい路地に出会う。迷わず歩いてみる。小鳥のさえずり、風が木々を揺らす音、家々から漏れる生活音、自転車が溝蓋を揺らす音。視界は縦長に切り取られ、普段は見落としがちな草花にも目が届く。
どこへつながるのだろうとワクワクしながら進んでいくと、突如行き止まりとなり、がっかりすることがある。でもかつてはどこかへつながっていた道。路地は私のイマジネーションをたくましくする。
昔の大路小路が残る地域に、私のお気に入りの路地がある。北の山裾から町の中心部の市場まで、まっすぐに伸びている。道幅は狭い。両側の垣根が迫り、一人で通るのがやっとのところもある。
この路地沿いに母の実家があった。私が生まれた病院もある。私が生まれた夜、病気がちだった祖母は叔母に連れられ、この道を歩いて病院まで来てくれたそうだ。
この地域はかつて学都であった。地元国立大学の前身となった専門学校や、旧制高校、旧制中学校が立ち並び、多くの若者が闊歩したという。私には会うことのなかった二人の伯父がいる。戦争にとられてしまった母の兄達である。まだ戦争が激しくなる前の穏やかな日常を、そして非情な戦争の日々を、私は母から聞いて育った。だからこの路地を歩く時、伯父をはじめとする学生達の青春の日々に、思いが至る。高下駄をはいて寮歌を歌いながら歩くバンカラ学生もいたときく。どんな時を過ごしたのだろうか?学問は彼らの視野を広げただろうか?好きな女性はいただろうか?将来の夢は?……
今はひっそりとしているが、かつては多くの若者が行き交った。この路を歩く時、私の思考は空間から時間の中へと移っていく。目に見えるものだけでこの世の中が構成されているのではない。多くの他者(死者)に思いをはせ、縦に流れる時間の軸をぐーんと伸ばして、日々生きていきたいと思う。
で、ここまできて、ようやく “ラジオ” である。
以前知人に「私、路地が好き」と言うと、「じゃあ、ラジオで路地の魅力を伝えるとすると、どうやります?」と聞かれた。その時は「路地の細さを表現するには、そうだね、お相撲さんにマイク持ってもらって、実況しながら歩いてもらえば?狭いですね!息苦しいですね!両腕が壁にひっかかります!とか・・!」なんで言って盛り上がった。
いやいや、他にも方法があるかな。カッコンカッコンという足音に、路地の歴史や物語をナレーションで流して、バックにはゆったりしたBGM、とか。
近所の人や、昔の路地の様子を知る人にインタビューするとか。
・・・いや、ちがう。難しい。あの路地の気配は、ラジオでは伝わりにくい。
テレビやラジオで伝えることができるものって、ごくごくわずかだ。あれも伝わらない。これも伝えられない。それも違う。こっちも無理・・・。
でも、だからこそやりがいがあるというか、飽きずにこの仕事を続けていられるのかな、とも思う。この先も、がんばります。
つまみ
がっちゃんさん、こんばんは。
私も子どもの頃、道草の女王でした。
小学校低学年の頃に通った学校の通学路は田んぼの中の一本道だったのですが、その道は通らず、田んぼのあぜ道を歩いて帰るのが好きでした。
毎日、曲がるところを変えて、日によっては、通学本線(?)からどんどん遠ざかり、見える範囲の逸脱なのに、冒険気分になったりしていました。
路地に目覚めたのは、高校生になって、雪国に引越し、陽の差さない路地はいつまで経っても雪が溶けない、それが景色どころか、目線をも一変させることに気づいてからです。
大雪のあとは、塀の高さになる路、雨樋に手が届いたり、玄関まで、雪の階段ができていたりする路地は、真性雪国の初心者にとっては、別世界感がハンパなく、住人でもないのに、日陰の路地日陰の路地と探して歩いて、行き止まりで戻ってきたりしては、友人に不審がられていました。
あんなに夢中になった、あぜ道や雪の路地のこと、すっかり忘れていました。
思い出させていただき、ありがとうございます。
そして、今回のがっちゃんさんの記事は、最近読んだ木内昇さんの『よこまち余話』を彷彿させます。
つかみどころがありそうで、いざとなるとするりと逃げそうな路地、これからもラジオでも追い求めてくださいませ。
はらぷ
がっちゃんさん、はじめまして。
路地が好きです!
道の先に何があるのかと、確かめてみずにはいられません。
ふいに人んちの軒先に入り込んでしまって、窓からもれるテレビの音にどきどきしたり、ぽっかりと空き地があらわれて呆然としたり、樹木にのみこまれそうな空き家の昔を想像したり…。
私も高校生のときよく、学校にまっすぐ行かず、駅を降りてわざと回り道をして2時間くらい道草をくってました。そしてへとへとになってその後の授業は寝ていました。ひどい学生だ。
数年前までは東京の千駄木に住んでいて、そこは路地の宝庫のようなところでした。住んでいたぼろマンションは、大きな通りにつながった舗装のされていない路地にあって、道のわきには自転車や植木鉢がところせましと置かれていました。そして、いつも隣のおばさんが外でうろうろしてるのだった(笑)
その路地は先が数段の階段状になっていて、昔はそこに井戸と洗い場があったそうです。かつては女の社交がくりひろげられていたことでしょう。
千駄木に住んでいた4年間、ほんとうによく歩きました。井戸のある路地、隠し階段のある路地、猫の空き地のある路地、書いていたら帰りたくなってきました…。
がっちゃんさんの地元の描写にうっとりします。
母の実家のある熊本、旅行でいった盛岡や金沢のことを思い出しました。
戦争前の地方都市、自由闊達で進取の気質に溢れた学生さんたち。あッ「摩利と新吾」!(あれは東京だけど)
普通の路地のひとのインタビュー、いいなあ。そんなラジオ、ぜひ聞きたいです。
がっちゃん Post author
つまみさん こんにちは
路地好き、冒険好き、そして道草の女王でいらっしゃるんですね。
嬉しいです。
雪国の路地の話、初めてききました!
私の地元だと、垣根にうっすら雪が積もる程度なのですが、
寒い地域だと、本当に路地の景色が一変するんですね!
塀の高さになる路地、雪の階段…。
見上げていた塀や家々が、見下ろせるくらいの位置になったり?
住民は大変かもしれないけど、子供にとっては最高にわくわくしますね!
田んぼのあぜ道は、生き物との遭遇がいっぱいありそうですね。
今頃はカエルの大合唱が子供たちの通学BGMでしょうか。
つまみさんのコメント、とっても楽しく読ませていただきました。
路地のイメージが広がりました。
木内昇さんの「よこまち余話」知らなかったです。
すごくおもしろそう!早速、読んでみます。
がっちゃん Post author
はらぷさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
高校時代は、下校時ではなく登校時に道草されていたんですね!
その分、早く家をでなければなりません。すごい。
でも確かに早朝は空気も澄んでいるし、一日の始まりを冒険からスタートするのって、楽しそうですね。
2年前に東京へ遊びに行った際、千駄木にも行きました。
千駄木駅近くのブックカフェに行きたかったんですが、あいにくお休みでした。
夕方になったら開店するかと期待して、大通り沿いを何度も往復して時間を過ごしました。
いろんな店をのぞきましたよ。本屋さん、パン屋さん、果物店、下駄屋さんなど。
どの店も庶民的で、生活の匂いがして、おもしろい街だな~と思いました。
少しだけノスタルジックな空気も感じました。
ああ、一歩横道にそれてみればよかったです~!
路地の宝庫なんですね。
樹木にのみ込まれそうな空き家…、ぼーっと見ていたい。
路地の先に井戸と洗い場があったんですか。
当時の女性たちの会話が聞こえてきそうです。
隠し階段のある路地って、惹かれます。
なんのためなんでしょう…。
私の地元には、大昔から存在するといわれる細い路地があって、途中何か所も鍵型に曲がっています。
これも何のためなんだろう…と思ってしまいます。
熊本や金沢も旧制高校があったみたいですね。
学都には下宿屋や定食屋が多かったとききます。
たくさん物語がありそう。訪ねてみたくなりました。
じじょうくみこ
がっちゃんさん、こんにちは!
路地は大好物なので、読んでいてよだれがごっくん(笑)
目に見えるものを音だけで伝える、というのは
これまでまったくなかった感覚なので、すごく新鮮ですね!
「ここを音でどう表現すればいいだろう?」
と妄想するだけで日常が楽しくなります♪( ´▽`)
しかし力士のレポートは反則すぎる(笑)
私はどうするかなあ、そうだ先日テレビでダーツの旅に出ていた
ミュージカル俳優の市村正親さんを推したい!
地元民とのなじみ方がすごい。そして何かあれば歌って踊ってくれる!
同じカテゴリー?でいえば平野レミもいいか!?
いやちょっと早口すぎてラジオでは無理かw
たてもの探訪の渡辺篤史に路地をこれでもか!と
褒め殺してもらうのも楽しそう。
ご存命だったら城達也さんに渋い声で話しながら
ときどき「じぇっとすとりーーーーーむ!」とシャウトしてほしい。
空の旅じゃなくて地の旅だけど。
ジャーナリストの山路徹さんが路地を歩きながら国際情勢を語る
「ロジヤマジ」というのもアリか?
って怒られる前にやめときます(ー ー;)
次回も楽しみにしますよー!
がっちゃん Post author
じじょうくみこさま
こんにちは。コメントありがとうございます。
路地は大好物でいらっしゃるんですね。
そして、目の覚めるようなアイデア、素晴らしいです♪
市村正親さん、コンクリートの極細路地であれば、
美声にエコーがかかって、いい感じになるのではないでしょうか。
渡辺篤史さんの味わい深いリポートも捨てがたいですが、
個人的には、城達也さんにお願いしたいです♪
地の旅だけど、ところどころでジェットストリームって叫んでもらいましょう。
人間の数より猫の数のほうが多い路地もありますから、
路地を象徴する音として、
猫の「にゃあ・・・」「ゴロゴロ・・・」っていう鳴き声を
城さんの声にかぶせてしまうというのは、どうでしょうか♪
はらぷ
「下校時ではなく登校時に道草」…するには早起きしなければならない。
そうですよね…。それが人としてあるべき姿だと思います…。
すみません遅刻してました(懺悔!!)
制服がなかったからか、そういえば一度もつかまりませんでした…。
(そういうもんだいではない)
大昔からある鍵型に曲がった路地…なんでしょう、ドキドキします。
城下町だったら防衛のため?昔はどんな界隈だったのか。
昔の地図と見比べてみたいですねー。
つまみ
じじょくみさんの「ロジヤマジ」、面白そう。
国際情勢だけじゃなく、路地美人も語りそうですけど(^_^;)
ところで、語感が「ロミ山田」に似ているのは偶然なのか故意なのか、気になってしょうがありません。
…ロミ山田、みんな知らないでしょうかね。
爽子
ロミ山田に脊椎反射で、コメントします。お許しを
このレコード、子供の頃住んでいた家にありました。
うろ覚えで申し訳ないんですが、ロミ山田さんって、モノトーンのお洒落が上手で、ブティックをなさってたように思います。
もちろん白と黒ばかりの。
あとになってすみません、路地好きは、私もお仲間です。
子供の頃、学校の帰り道、違う道を通るのに凝りすぎて、親に心配かけたことが何度かある、困ったチャンでした。
がっちゃん Post author
爽子さんの地元にも路地がいっぱいあるんですね。
大人になって通ってみると、自分がガリバーになった気になりませんか。
つまみさん、ロミ山田、知らなかったです~!
色っぽい…。