「もったいないお化け」の世代間連鎖
親が、自分が育てられてきたのと同じように子供を育て、やがてその子が成長して自分の子供ができると、また自分が親からされてきたのと同じように子供を育てることを、世代間連鎖という。世代間連鎖には、良いものも悪いものもあるが、大抵は、様々な問題が生じてくる、悪いほうの世代間連鎖について語られることが多いようだ。
片付けに関する問題において、私はもしかしたら、世代間連鎖の呪いを受け継いでしまっているのかもしれないと思った。自分にとって有用なものと不要なものは分けられるのに、モノとしてはまだ使える物を捨てるということに「罪悪感」を感じてしまって、なかなか捨てられない。これもある意味では、親世代からの「呪い」なんだと思う。 親が「もったいない。まだ使える」と言って、使わない物を溜め込んでいると、親の死後、親が溜め込んだ物を、子供が片付けることになってしまう。自分が捨てられなかった物は、自分の死後、形見や実用品として使えるもの以外は、ゴミという負の遺産になってしまうのだ。そして、子供もまた、親からの「もったいない」の呪いを受け継いでいて、物が捨てられなかったとしたら… これって、機能不全家庭の世代間連鎖に似ている。
物がなかった時代には、親世代の、まだ使えるものは取っておくやり方は正しかったのだと思う。でも今はそういう時代じゃない。物がなかった時代は、選択のしようがないから、なるべく使えなくなるまで使う、つまり、自分の家から出て行く物の量を少 なくするという考え方が、その時代に適したやり方だったんだろう。でも、物が溢れている時代においては、購入する時点で、自分にとって必要なものと必要でないものを選別する能力、つまり、自分の家に入ってくる物の量を少なくするという考え方が、適したやり方なんじゃないかと思う。そのためには、子供の頃から、自分で選択する訓練をさせる必要がある。つまりそれは、自分にとって、何が好きか嫌いか、何が必要か不必要なのかを知るということだ。
それから、「もったいないお化け」って、物だけじゃないよね。たぶん食べ物もそうだ。昔は食べ物が少なかったから、「残さず食べなさい」は正しかったのかもしれないけど、今は飽食の時代だ。自分の腹具合に見合う適度な量を 見極める能力が必要だと思う。つまり、量が多いと思ったら残すようにしたほうが良いんだと思う。お腹いっぱいでも「もったいない」と思って全部食べてしまうと、「食べきることができた」という経験として残ってしまうため、次もまた同じことを繰り返してしまうんじゃないだろうか。一度残してしまうという経験をしたほうが、「残してしまった。もったいないことをしてしまった」という、ある種の痛みを伴う経験とともに、自分にとっての適正な量がわかって、次から量を少なくすることができるのではないかと思う。
糖尿病で、医者から「食べ過ぎないように」と言われているのに、食べ物を残す罪悪感から、目の前に出された食べ物を全て食べてしまう習慣が抜けないという話を 聞いたことがあった。飽食の時代においては、自分の身体の中に入ってくる食物の量を適度に保っておく技術が必要なんだと思う。「もったいない」と言っても、どうせ食べ過ぎたものは消化し切れなくて栄養にならないし、健康を害するだけなのだから。
他のことだったら「親世代のやり方は古い。今はそういう時代じゃない」と思えるのに、物や食べ物を捨てることは、「罪悪感」という呪いがかかっているから、なかなか難しい。でも、自分にとっていらない分は捨てていくということが、やがては、自分にとっての適量を知る、つまり「足るを知る」ことに繋がるのだと思う。自分の代で世代間連鎖の「呪い」を断ち切って、後の世代に残さないようにと考えたほうが良いのかもしれない 。
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