カリーナからゆみるさんへ 2023年3月15日
これは昨年、カリーナとゆみるがメールで交わした往復書簡です。
お返事ありがとうございます。
ゆみるさんが、だんなさまご自身から(相手の夫に当たる人をどう呼べばいいのか問題、いつも悩みます。とりあえず、だんなさまと書かせていただきます)病状を聞いたなんて、まったく想像しておらず、最もつらい場面を思い出させてしまって心から申し訳なく思っています。
それでも丁寧に書いてくださった文面からお二人の間柄やだんなさまのお人柄がうかがえて、だんなさまのお顔などまったく知らないのに映画の一場面のようにシーンが目に浮かびました。
二人で会話を終えた後、ご自身のつらさと相手のつらさの両方を思って過ごした夜はいかばかりだったでしょう。
私だったら、どうしたでしょう。どうできたでしょう。
ゆみるさん。確か医療関係のお仕事についてらっしゃると書いておられました。そういえば、私、お仕事について知らないのですがざくっと大まかに教えていただいてもいいですか。(もちろん、スルーしていただいてもオケです!)
思えば、わたしは、ゆみるさんのようなつらさを味わっていません。夫は倒れる前日はビアガーデンに行って夜遅くに帰ってきました。翌日は土曜で、私はすでにパソコンに向かっていたのですが、(パソコンはキッチンからまっすぐ見渡せる位置にあります)夫はキッチンの流し台にもたれながらコーヒーを飲んでいたかなんかでいつになく上機嫌でした。
えらく肌が白くてこざっぱりしているなあと思いました。
ビアガーデンの料理が一人6000円もして一見、こじゃれているけどおいしくなくて「ああいうのはあかん」と文句を言い、それから誰かの話をして「僕は、あっちゃんでよかったわ」か「僕は、おかあさんでよかったわ」か言ったのでした。
その意味は、多少なりとも私に稼ぎがあるのでこれまで何とかやってこれた、というような意味だったと思います。
私は、ちょっとうれしかったけど「フン」と鼻で笑って、当然だろというように何も言わず、またパソコンに向かいました。
あのとき、「私もよかったよ」と言えばよかった。「ありがとう」もつければよかった、と何度も思います。
その8時間ほど後に倒れてしまったのですから。
でも、極論かもしれませんが、死んでからの後悔は生きている者の「し放題」。いかようにも好きにできます。
供養だってそうです。あれこれ供えてお参りしてある種の充実感を得られるのは、自分の好きなようにできるから。
生きているときは、相手がまごうことなく、そこにいるので後悔からも罪悪感からも逃れようがありません。
重たく、苦しく、つらく、切ない。
だから、ゆみるさんは、わたしの何倍もつらい別れを経験されたと思います。
ゆみるさん。
このやりとり、いつでも一抜けたしてもらって構いません。まったくお気遣いなく!別の楽しい話題に流れてもまーったくOKです。
そういえば、マスク自己判断になりましたね。わたし、今年に入ってから犬の散歩では、すでにマスクはずしていたのですが、しなくてもよくなってから花粉症でマスクしています(笑)
うまくいかんわ。