「先が見えた」と感じてからが、腕の見せどころ。
ブログにも何度か書いたことがありますが、20代後半のころ、千葉敦子さんの闘病記を熱心に読みました。
なんであんなに夢中になったのかな。いまも、そのなかの一節をしょっちゅう思い出します。
文章はうろ覚えなんですけど千葉さんは、最初の手術時に「万全を期して予防的治療もしておきましょう」と勧められたそうなんです。でも、「お金のゆとりがなくて断った」と。そのことを、再発時に「あのときは、あの判断しかできなかったのだから後悔はすまい」とさらっと書いていました。
もう、なんか、すごい、と思いました。「後悔はすまい」って思えることが、すごいと思いました。莫大といえるほどの金額じゃないだけに一番、後悔しそうじゃないですか。「なんで、ケチったんだろう」とか。もちろん千葉さんだって、「ああ、あのときに治療しておけば!」と思わないわけじゃなかったでしょう。でも、葛藤や強がりがあったとしても、それだけではことばにできません。本心なんだろうと感じました。
そのときの自分に「最善・最高とされる選択」ができるわけじゃない。
わたしたちには、それぞれ、費やせる金額、出会うことのできる人々、かけられる時間、自分自身の対応力など、あらかじめ「選択肢の限界」がある。たとえ、それが自分の「生命」を左右する選択でも。
千葉さんのことばから、若いわたしは、そういうことを学んだんだと思います。
この世界のどこかには、だれかにとっての「最高・最善」はあるんでしょう。でも、それは、わたしの選択範囲にはない。無理に無理を重ねて選んだとしても、それが自分にとってのベストだと満足できる保証はない。
「選択」や「判断」ってそういうものなんですね。
わたしたちの年代は、そろそろ「先が見えた」といわれるじゃないですか。これから「大化けする」ことはない。別の言い方をすれば「将来性がない」「伸びしろがない」というようなことですね。ま、たしかにそういう面もあるでしょう。未知数領域が少ないもん。
でも、「先が見えた」ということは、自分の選択肢を正確に把握できるということでもあります。
どれだけのお金があるのか、どんな人が自分のまわりにいるのか、どれだけの時間があるのか、自分の得手不得手は何か。で、何をしたくて何ができるのか。
腕の見せどころだぞ、と思います。
さら
いつも楽しみに拝読しております。
千葉敦子さん、久しぶりにお名前を目にしてコメントせずにはいられなくなりました。
出版された著書はすべて読んだと思います。
本当に、自分の考えを持った才女だと尊敬の念すら抱いていました。
ところが数年前、妹さんがブログにお姉様のことをお書きになった記事を見つけ、嬉しい思いと共に読みました。
あの時の衝撃(大げさですが)・・・
本に書かれた事は、事実と異なる部分があり、本当はこうなんだと。
今、妹さんのブログは探せなくなりました。
削除なさったのだと思います。
寒くなりました、お風邪めしませんように。