一流サラリーマンから老後貧困に陥る高齢者の記事に思う、プライドの取り扱い方。
一流企業のサラリーマンとして勤め上げ、まとまった退職金も受けとったのに孤独と貧困に陥った高齢者が増えているという記事を読みました。だれもが将来への不安を強く感じているので、こういった記事が増えています。わたしも退職金はないですが、自分の未来をのぞき込むような感覚で恐る恐る読んでしまいます。
登場する高齢の男性たちは、病気や離婚、家族の事故など原因はさまざまなものの「貧乏になってしまったことを知られたくない」と友人との関係を切ってしまって本物のひとりぼっちです。毎朝、目の前にあるのはテレビとコンビニ弁当とペットボトルとゴミ。変化のない毎日を送っていると、テレビのワイドショーが伝える日々の変化と元気なキャスターの声はつらいものです。ワンルームマンションという真空の世界にただ一人。目を開けても閉じても世界は変わらない。テレビとコンビニ弁当とペットボトルとゴミ。絶望が押し寄せます。
こういう場合、「お金の有無に関係なくつきあえる親友をつくっておきたい」とか「見栄をはらないで友人に正直に語ればいい」という忠告もあるし、それも真実ですが、なかなか難しいですよね。群れの最下位に位置するぐらいなら、そこから出て一匹狼になりたい気持ちはだれにもあるものです。男性は特に強いかもしれません。
そして弱くなればなるほど、なけなしのプライドだけを頼りに生きていく。そうやって自らプライドの檻に入って身動きができなくなっていくのです。
どんな境遇にも左右されない親友を作れず、友人たちに実情をありのままに語る勇気もないなら、「いまの自分の身の丈にあった新しい友人」を作ったほうがよいのです。自分にとってだけ大事な大事なプライドを捨てるなら過去の関係にしがみつく方向に使うのでなく、新しい関係づくりに使ったほうがいい。貧しさを隠さないでよい関係、ひとりぼっちであることを隠さなくてよい関係。「そんなヤツにろくな人間なんていないよ」と思っても、ろくな関係でなくていいじゃないか。ろくでもない人間に囲まれて笑顔でいて何が悪い。わたしは、その微妙なニュアンスをかぎとって「かっこいい」って言ってやるよ。
他人事のように書きましたが、わたしもそうあろうと思って書いています。自分の状況が変わったら、そこに新しい関係を作ろう。もちろん、親友もいたら幸せだし、いまの関係も大切にするけれど。いつ陥るかもしれない孤独から逃れるには、自己の受容と「自分のような他人への軽蔑」をなくすことが何より大切なのだと思います。
あきら
こんちは。時折夜に行く居酒屋的なラーメン屋があるのですが、繁華街でも住宅地でもなく。ワタシが行くのは10時代くらいですが、そこに行けば必ず同じメンバーのお客さんがカウンターでビールをのみながらテレビを見ていらっしゃいます。おそらく家に居る時よりは身綺麗にした70代80代の、40代位の男女。まるで家の外のリビングのようです。お互いの好みや暮らしぶりもご存じのようです。そのまた若からぬ子供さんとか。真空世界から見たらパラダイス。そのお店のおでんもラーメンも安くておいしいです。
nao
つい先日知り合った若い女性が職場で困っていることの一つとして
嘱託の70歳くらいの男性(某警察OB)の方に、朝あいさつしても全く無視されることを話していました。
誰ともあいさつしないという訳ではなく、上の人?には自分から寄って行ってあいさつするのだそうです。
彼女はがんばってあいさつを続けていこう、と言っていましたが
そういうことが人を傷つけることを理解できないのかな。
男性ばかりとは限らないものの、そんな偉かった人、縦社会で生きていた人というのはなかなか大変だな(周りが)、と思います。
以前コメントでも書いたことがありましたが、
森川すいめいさんという精神科医の方が、日本の自殺希少地域を旅したことを書いた本の中で
そういう地域では、人との関係が深い訳ではなく、挨拶・立ち話する程度の人がたくさんいるのだそうです。
そして困っていると気軽に声をかけてくれて、解決するまで付き合ってくれる、
そんな地域であれば孤独にならないのだそうです。
小さいことですが、あいさつから!
生きやすい社会のほうがよいですものね。