新連載「(人生フルーツを見て)夫婦というレッスン」、はじまります。
こんにちは。カリーナです。今週もオバフォーにおつきあいください。
恋人や夫婦を語るとき、「変わらぬ愛」という表現を使いますが、あれは、どうなんでしょうか。「変わらぬ」ものがあるのか、そして「変わらぬ」ほうがいいのか。美貌も体型も「変わらぬ」ためには、大変な努力が必要だし、年月による変化(老いともいう)に徹底抗戦しようとすれば、自分自身の努力だけでは足らず、メスを入れたり、針を刺したり、薬品を注入したりしなければなりません。
ナショナルはパナソニックになった。東芝もなんだかおかしくなった。SMAPも解散した。真央ちゃんも引退した。もちろん自分自身も変わった。少子化とはいえ、わたしの後に多くの赤ん坊が生まれ、成長し、立派な大人になっています。
愛だけが「変わらぬ」主義でいいのか!?夫婦愛には、愛し続けると嫌いになる(無関心になるを含む)の二択しかないのか。
長年、連れ添った夫を見て「あらあ。わたし、こういう人と結婚していたのね。若いときには、わからなかったな」と思ったことのある人もいるんじゃないですか。わたしですか。もちろんあります。自分が思うなら、相手だって思うでしょう。「変わらぬ」が「出会いのとき」に価値を置くなら、「変わりつづける」は「現在」にあわせて臨機応変でいる、ということなのかもしれません。
夫婦も人間関係のひとつですから、愛情や敬意、共感だけでなく不満や葛藤、無関心を抱えながら維持される綱渡りです。相手の態度や発言にどれぐらい応えるのか。理解するのか。我慢するのか。無視するのか…多くの夫婦が日々、それぞれの胸中で「よかれと思って」または「仕方なく」、あるいはオートマティックに発言や対応を選択していると思います。試行錯誤を続ける人もいれば、あきらめている人もいれば、何の疑問も抱かない人もいるでしょう。偶然にも、前回の記事に「試行錯誤を続けることは、好きということ」と書きましたが、人間関係についても同じことがいえると思います。
夫婦関係にも試行錯誤(レッスン)が必要なのだろうな。
そう考えて2カ月ほど前から準備をし、今週の金曜日から「~人生フルーツを見て~夫婦というレッスン」という連載をはじめることになりました。わたしの書いた文章と、わたしが出したメールに返事をもらう形でメンバーの月亭つまみさんや寄稿者の方々(YUKKEさん、あきらさん、はらぷさん)にもご登場いただきます。
いろんな角度から「夫婦」について語りあっています。「夫婦」という単位が、自分たちにも、そして特に、それ以外の人々に与える違和感や居心地の悪さ(ある種の気持ちの悪さといってもよい)についても、かなり率直に語っています。紋切り型の夫婦像や夫婦観に疑問を感じる方や、こういうテーマに興味のある方に読んでもらえたらうれしいです。
今日の一首は?→毎日更新。カレー記念日もどうぞ。
みにりっぱ
夫婦のありかたについて、今すごく考えてるところでした。ナイスタイミング❗
みなさんのところでは、妻が趣味の活動や飲み会で家を明けることに干渉されますか?
うちは、かなり不自由です。
もっと、お互いに自立した関係でいたいのに、夫は基本的にどこにも夫婦で行きたいタイプ。
夫に合わせると、私のストレスがすごいんです。悩んでいます・・・
じゃむ
カリーナさま。いつも読ませてもらってます。
まさに、ナイスタイミングです。子供達が独立して、夫と向き合う静かな日々に、戸惑ってます。しかも早期退職するとか言い出し、夏には、55才でリタイアするようです。昨年から義母との同居で環境も変わり。
夫婦レッスン 皆さんのを参考にさせてもらいたいと思ってます。