ラスボスへの告白 : 高菜棒餃子
とある寒い朝、かかりつけの医院へ歩いて向かう途中に
ご近所のおば様と出くわしました。
「あらぁ、ミカスちゃん!」
このおば様、地域のラスボス的存在。
※ラスボス…最後の壁として立ちはだかる存在のこと。
「ラストに登場するボスキャラクター=ラストボス」の略語である。
(ピクシブ百科事典より)
世話好きで親分肌ではあるけれど、そのクセの強さにちょっと距離を置く人も
ちらほらいるような人なのです。
にこやかな挨拶の跡に続く言葉は想像がつきました。
「お母さん、元気?」
私は、母が認知症であるということを自分の友人には包み隠さず
話しています。
そして、時に相談にのってもらったり、お互いの親のことを愚痴り合ったり。
ところが、ご近所の人に母の状況を話すことにはなぜか抵抗がありました。
私が住む小さな町は、どう逆立ちしても都市とは言えないし、
とはいえ田舎暮らしを楽しめるほど自然に恵まれたのどかな場所でもありません。
中途半端な小田舎。
そんな町でのご近所付き合いは微妙に密接で、
ラスボスを始めとしたご近所のおば様方は、お互いをファーストネームで
呼び合っています。
それぞれの家族構成を把握しているはもちろんのこと、
「どうやらあそこのおばあちゃんが入院しているらしい」程度の情報は
回覧板と共にふんわりと回ってきます。
そんなコミュニティの中で、
しばらく姿を見せていないミカス家のK子さんが実は認知症になっていた
という”ニュース”は、一体どんな風に受け止められるのか。
私はそれがずっと胸に引っかかっていました。
それはつまり、
私が母の病をどこかで恥ずかしいと思っていたから…?
ラスボスと出くわす2ヵ月ほど前、
お隣の奥さんと話をする機会がありました。
とりとめのない世間話の後に、遠慮がちに切り出す奥さん。
「お母さん最近見かけないけど、元気?」
遠慮がちに、というところに奥さんが何かを案じてくれていることが
感じられました。
私はそれまでご近所の人には話さなかった母の現状を話しました。
ほとんど動かないから足腰が弱る。弱るから動かない。
そんな悪循環が続いていること。
そして、認知症が少しずつ進んでいて、時に接することが大変なので
最近はショートステイを利用していること。
お隣さんは
「そうなのね。
時々車が来ているのを見かけたから、そうかな?って思ってた」
と言って、自分の母親が亡くなるまでどれだけ介護が大変だったかを
話してくれました。
また、その数日後には別のご近所さんと出くわし、
やはり立ち話の中で母の状況を話したところ
「暖かくなったらお母さんの顔を見に行ってもいいかな?
たまに家族以外の誰かと話すのも刺激になるんじゃない?」
もしかしたら、この微妙な田舎の微妙に密接な付き合いは、
ちょっと面倒でもある反面、万一何かがあった時に助けてもらえる力にも
なり得るのかもしれない。
そんなタイミングでラスボスとの遭遇。
何人かのご近所さんに話したこともあって、
私は彼女にも同じように母の状況を包み隠さず話しました。
黙って聞いていたラスボスは
「いい?ショートステイでもデイケアでも、使えるものは何でも使いなさい。
ミカスちゃんが倒れちゃったら大変だもの。
そして、私たちにできることがあったらいつでも言うのよ」
親分肌の彼女らしい言葉です。
そんなつもりはなかったけれど、
無意識のうちに「隠しておけばいい」と思っていた母の病。
どこかで恥ずかしいと思っていたのかもしれない自分。
ああ、やっと言えた。そう思いました。
本当の状況をあらいざらい話せば、周りの人たちは意外と手を貸してくれます。
必要以上に恐れることはないのだと思います。
でも、本当のことを話した時に相手がどう反応するのか、怖く感じる気持ちも
私にはよくわかります。
私がそうだったのですから。
介護に限らず、さまざまな問題と対峙している人は、
自分で作った柵のようなものからなかなか外へ出ることができないものです。
思い切って飛び出せばおそらくは楽になれるだろう。でも怖い。
柵の中で身を固くしている人に、柵の外側から「出てこい!」と声をかけたり、
無理矢理引っ張りだすことはできません、私には。
ただ、ラスボスやご近所さんががしてくれたように、
時折柵の中の人を気にかけながら、その人が思い切って柵を超えて来た時には
すっと手を取ってあげたい。
(柵の中で倒れかけている時は、無理やりに引っ張り出すことも必要かもしれません)
先日、妹に「お姉ちゃん、段々認知症慣れしてきたよね」と言われました。
認知症慣れって何だよ?(笑)
でも確かに、ショートステイを使ったり、周りに母の話をしたり、
自分の体と心を楽にする方法が少しずつ分かってきたような気はします。
そのせいか、最近はまた料理をすることがちょっと楽しくなってきました。
ちょっと前までは、自分でも心配になるほどやる気が失せて
できるだけ手のかからないものを、とそればかり考えていましたが。
というわけで、今日の一品は『高菜の棒餃子』です。
たまたまスーパーで棒餃子の皮なるものを見つけたので挑戦してみようと思い立ちました。
いつもの餃子ならキャベツのニラを塩もみにしたものを肉に加えますが、
この棒餃子には高菜をたっぷり混ぜ込みました。
棒餃子の皮が手に入らない場合は、普通の餃子に高菜を混ぜてみてください。
いつもとはちょっと違う食感と味わいが楽しめます。
とはいえ、たいして手がかかっているわけでもないな。
高菜棒餃子
- 豚ひき肉に、高菜、塩、ごま油を加えて混ぜ合わせる。
高菜はたっぷり入れてください。食感や味が面白くなります。
その分、塩は普通の餃子より少な目に。 - 棒餃子の皮の上に2の餃子だねを置く。皮の3辺(縦、縦、横)に水を塗って
皮を二つ折りにし、3辺をぎゅっと押して閉じる。 - フライパンに油をひいて熱し、3の棒餃子を並べる。
- 片面に焼き色が付いたらひっくり返してもう一面を焼いたら、
フライパンにお湯を注ぎ、蓋をして蒸し焼きにします。 - お湯がほぼなくなったら蓋を外し、水分を飛ばしてカリッと焼き上げて
出来上がり。
高菜がたっぷり入っていれば醤油なしでも美味しいです。
もちろんお好みで醤油、酢、ラー油などどうぞ。
とはいえ、やっぱり柵からは出た方が楽になれると思います。
内側にいた時には想像もしなかったような意外な所から
差し伸べられる手もあります。
もちろん、柵から出るか否かを決めるのは本人です。
誰からも無理強いされてはいけません。
ただ、出ると決めた瞬間に何かが変わると思いますよ。
ミカスでした。
ひろっくま
ミカスさんの文章を読んでいるといつも温かい気持ちになれます。
私は来週父を認知症専門医のいるクリニックに連れていきます。
少し気持ちが軽くなりました。
ミカスさんのお陰で今までと違う気持ちで
父や周りの人たちと接することができそうに思えます。
私も心の余裕が料理に表れます。
最近は手のかかるものが出来ていないなあ。
少しずつ大好きな料理を復活させていきたいな。
そして「おいしいーーー!」って言いながら食べたいです!
ミカス Post author
ひろっくまさん
うれしいコメントをありがとうございます。
お父さま、初めての診察でしょうか?
そこへたどり着くまでには色々な葛藤があったことと思います。
でも、診察を受けることでお父さまの状態がわかって、それに合ったお薬が処方されるようになります。また、お医者様という味方が1人増えるわけでしすから、ひろっくまさんもお父さまも少し気持ちが楽になるはずです。
もちろん、これから色々大変なことがあると思います。でも、できるだけ楽な方法を選びましょう。
ちなみに、お父さまの状態や変化についてご本人の前では言いにくいことがある場合は、前もって手紙に書いて受付で「症状など本人の前では話しにくいことを書きました。先生にお渡しください」と言って預けるといいですよ。大抵の病院では事情を察してうまくやってくれます。
作ることも食べることも楽しめる日が早く戻ってきますように。