隣人の「引き出し」のなかを見せてもらう楽しさを。オバフォーで。
人がたくさん行き交う場所や有名な待ち合わせスポットなどを歩いていると、自分以外のだれにも悩みがないように見えますね。特に「待ち合わせ相手と会って喜び合う人」「友だちや恋人などとおしゃべりしながら歩く人」「スマホで商談しながら歩く人」などが目立ちやすいから、生き生きと、今風の暮らしを楽しんでいるように見えてしまいます。
でも、当然のことながら、そのなかにも必ず「家庭に悩みを抱えている人」や「借金を抱えている人」「病気で苦しんでいる人」などなどがいるわけです。「おおおお!苦しいよーーー!」と叫びながら歩いている人を見かけることはめったにないので、みんな、そこそこやれているように見えてしまう。みんな我慢強く、苦しみの表現は控えめです。みんな、えらいな。
「悩み」や「悲しみ」もそうですが、「興味」や「得意」「喜び」なども行き交うだけでは見えません。食事をしにいったり、仕事で机を並べていてもわからない場合もたくさんありますね。人は、とくに「喜び」についてはわかってくれそうな人にだけ伝える傾向があります。否定されたくないから。バカにされたくないから。ある程度、その喜びによって自分自身が満たされているというのもあるかな。
深刻でない程度の「悩み」や「悲しみ」のほうが人々に共通しやすく、そのため、不満を語り合ったり、愚痴を言い合ったりする関係のほうが実は作りやすいともいえます。「喜び」や「楽しみ」の共有のほうが、サークルなどに入る場合は別として、人はみな用心深くなり、人を選ぶ。何かにつけ愚痴や不満でつながろうとするのは、いちばん、簡単につながれるからかもね。
この前、近所のママ友ライングループで、ひとりの人が市の無料教室で木工を習ってきたという作品の写真をあげていました。いつもパートで忙しくしているのに、こんな時間を作っていたなんて思いもしませんでした。そして、その作品が上手だった!
あたりまえだけど、それぞれの人に、それぞれの「ひとりの時間」がある。自分が考える「あの人のひとりの時間ってこうじゃないか」という想像は、ほぼ外れていると思ってまちがいない。多くの人は、自分と同じくらいか、それ以上悩んでいて、自分と同じくらいか、それ以上に豊かな「ひとりの時間」をもっていると思ったほうがいい。年とともに、それぞれの人の「深さ」「豊かさ」に気づくことが増えました。
今日、新しい記事の更新されているゆみるさんの引き出しの多さにも驚いています。「切手」や「手紙」からこんなに広がるんだなあ。夏目漱石好き、借金物好きとしては次回が楽しみで仕方ありません。そして、紹介されているハガキ!
「いどばた。」のお題も、「ひとり時間」です。あなたは、どんな時間を過ごしていますか。
よもじ猫、ご覧いただいていますか。スマホからだと一番下にあります。アクセスするたびに違う写真が登場するんですよ。わたしは、いま、これでした。睥睨してるなー(笑)(写真をクリックすると投稿フォームにアクセスします)。
投稿お待ちしています!猫は、ひとり時間が上手。