灯台のあかりのように、時にはぼおっと、時には心強く。いつかは消えるとしても。
こんにちは、カリーナです。
30代半ばで主宰していた劇団を解散したことは、何度も書いているのでご存知の方もいると思います。当時を振り返って思うのは、「選択肢はいくつもあったじゃないか!」ってことです。公演の方法を変えてもよかったし、劇団の規模を小さくしてもよかったし、なんならしばらく休んでもよかった。
懐かしさから思うだけなんでしょうが、もし、いまも細々と続けていたら、面白かっただろうなあ。お金もかけなくていいじゃないか。練習もしなくたっていい。気心の知れた仲間で、それぞれの人生の悲哀をかみしめ、受け入れながら笑いあって作品を創る…いいなあ。そんなこともできたんだなあ、と思います。
冬眠、休眠、休止、幽霊…それも選択肢だったんだよなあ。何を、急いで白黒つけようとしたんだろう。視野が狭くなっていたのだろうし、切羽詰まってもいたのだろうけど、一番は、「少しの間だけ重荷を下ろしてのんびりしたかった」んだろうな。じゃあ、休めばよかったじゃないか。
一週間前の月曜日、大阪北部は地震に遭い、わたしもあたふたしてこの連載をお休みしました。「ごめん。地震ひどくて書けない」と連絡したら、月亭つまみさんが「わたしが書こうか~」と言ってくれて、1時間足らずで書いて公開してくれました。即興的に選ばれた言葉のなかに、はっとする励ましの言葉がたくさん見つかりました。
「明日の自分なんて、明日の自分に任せて、今日は今日の範疇、見えてる場所で、ケガせず、なるたけ体調良く過ごして、明日の自分にバトンタッチするのが、今日の自分の何よりの努め」「先々のことを真面目に考えるあまり、今の自分のダメ出しをするような日々は、今日の自分に失礼だと思うんですよねえ」一見、ネガティブに見えて、その実、明日を比較的前向きな気持ちではじめるための態度を日々、更新する方法が書かれています。
そのなかに、
このサイトは、読んだり関わったりする人が、揺れても、ちょっと失言しても、判断を間違えても、拒絶するのではなく、灯台のあかりのように、時にはぼおっと、時には心強く、在り続ける場所(いつかは消えるとしても)であって欲しい…。
という一節があり、このウェブマガジン「どうする?Over40」の立脚点とあり方について再確認することができました。つまみさん、ありがとう。
人は、ときに揺れる。ときに離れたくなる。やめたくなる。休みたくなる。何もかも変えたくなる。一切の関わりを断ちたくなる。その判断が正しい場合もあれば、あとで考えると後悔することもある。そのとき、「灯台のあかりのように、時にはぼおっと、時には心強く、在り続ける場所」でいられたらいいなあ。そんなありかたができるように努力しようと思いました。ひょいと戻ったり、ときどき立ち寄ったり、いないようで居続けられたり…そういう場所でありたいです。いつかは消えるとしてもね。
今日は、KEIKOのデコボコな日常が公開されています。ふと手に入った空き時間。隙間の時間を視覚障害のあるKEIKOさんは、どんなふうに過ごしているのか。ここにも、いくつもの発見が散りばめられています。
7月末のイベントも近づいてきました。介護当事者のふたりが語る「介護の言葉」、あらゆる意味で核心に迫ったやりとりだと思います。ぜひ、お読みください。→『本当に緊急の事態や、御し難い強烈な感情に突然襲われた瞬間、そう「今」を救ってくれる人、システムはないものか』
「どうする?Over40」今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てくださいね。「いどばた。」に素敵なコメント、入っています。
Jane
この記事と、これに繋がっているつまみさんの記事、心に残る記事でした。もう2年以上前の記事だったんですねえ。心に残る記事でありながら私がコメントしていなかったってことは、まだコメントするのに躊躇していた頃だったんだなと思います。あれからずっと、このブログは灯台のようにぼおっと光っていましたよ。