「プライドの檻」を壊して、苦しいときこそ情報公開。
夫のお父さんは、60代のとき脳梗塞で倒れました。そのとき義母は救急車を呼ばず、隣に住む長男に電話をして病院に連れて行ってくれるように頼んだそうです。かけつけた義兄は、父の様子を見て「これは救急車!」とすぐさま判断。義母もしぶしぶ119 に電話はしたものの「サイレンを鳴らさずに来て」と頼んだのだとか。
そのことを先日、義母自らが語っていました。「まだ朝早かかったから、近所の人を起こしたくなかった。でも結局サイレンを鳴らしてきた」と。しかし義兄たちの話を総合すると、周囲への配慮だけでなく夫の急病を知られたくなかったようです。田舎とはいえ地域の名士だった夫が不自由な体になったことを認めたくなかったのでしょうね。闘病中も積極的には福祉サービスを受けなかったそうです。今とは考え方も少し違うかもしれません。
プライドは時に「自分を閉じ込める檻」になります。檻に入っている限り、動物園のライオンやトラと同じ。周囲の人は見物客にしかなれず、檻のすき間から恐る恐る食べ物を投げ入れる程度のことしかできません。あとは檻の外からスケッチするか、写真をとるぐらい。何もわかちあってはくれないのです。
わたしの夫は義父よりもはるかに症状が重いけれど、だれかから隠したいと思ったことはありません。お見舞いに来たいと言ってくださる人はだれでも歓迎したい。歓迎したい、としか書けないのは、ほとんどの時間を集中治療室で過ごしていて、まだ家族としか会えていないから。転院したら、どんどん訪ねてもらいたいです。
夫は病と闘っているだけで、何ひとつ恥ずかしいことはありません。闘病する人間を見て、どのような感想をもつかはその人次第。わたしがその感想を操作することも、強制することもできないのです。
何かを過度に隠そうとするとき、わたしたちは、勝ち負けにこだわっているように思います。弱みを見せたくないと思うのは、敗者になりたくないから。なぜ?人はだれでも弱くなるとき、苦しいときがあるのにね。
企業や行政には情報公開が求められますが、人間も同じかもしれません。苦しいときほど情報を公開して助けを求めたほうがいい。
今の時代、看護にも介護にもマネージメント力が必要なのではないでしょうか。コミュニケーション力と問題解決力のある伴侶として長い闘病になる夫を支えたいと思うようになりました。
いつもオバフォーに遊びにきてくださってありがとうございます。土曜日に更新されたおしゃれ会議室は、「軸色」がテーマ。軸色って知ってました?わたし、知らなかったです。カレー記念日今週のおかわりも相変わらずおもしろいです。タイトルは、「まんぷく」と カレーで満腹 土曜朝。まんぷく、見てますか?
オバフォーは今週もコツコツとほぼ毎日更新します。楽しいとき、苦しいとき、なんでもないとき、どんなときもふらっと立ち寄ってください。待ってまーす。
2539
カリーナさんのファンの一人です。
しなやかで、強い、心を持つ貴女様に憧れています。
苦しい時こそ、情報公開。本当にそうだなと感じます。
私の息子は障害を持って生まれてきましたが、一度も隠そうと思ったことはなく、そして、隠さずにきて心からよかったと思うのです。
情報を公開した分、色々な情報をいただくことができましたし、そして、何より味方になってくださる方が沢山できました。
息子はまだ10歳、まだまだ、手も目も離すことはできませんが、彼が自分の足で人生を楽しみながら歩いていけるよう、側で見守り、一緒に笑いながら過ごしていきたいと思います。