続けることは、「思い出」という楽しみの貯蓄。だれかと分かちあえるとなお素敵。
長い間、ひとつのことを続けてきた人たちがグループのメンバーや仕事仲間と、これまでの歩みを懐かしそうに語っている場面を見るといいなあ、うらやましいなあと思います。自分が演劇を途中でやめているのでなおさらうらやましい。「ああ、続けてきた人たちだけに神様が贈ってくれる人生最大のプレゼントだなあ」と思うのです。
彼らだって、これまで何度も「やめようかな」と思ったに違いない。自分以外の人に光があたってわが身の不遇を嘆いたことだってあったでしょう。でも、その時々に、何となくでも、たとえ惰性でも、続けるほうを選んで、歩みを止めずに今日がある。互いが互いのいい面も悪い面も、強い面も弱い面も、困った面も知っていて、それでなおリスペクトしている。いいなあ、素敵だ。
夫婦も同じだなあと思います。どちらも「もう、やだな。続けられないな」と思ったことがあるかもしれません。でも、その時々に、いっしょに生きることを選んで今があるんですよねえ。その思い出を語り合えるって最高だなあと思います。
わたしたち夫婦は、買い物帰りなどに「子育てをよくがんばった話」をしていました。優秀な子になったとか、そういう華やかな話ではなく、「お金がないときに歯の矯正をさせたわたしは偉かった」「幼稚園のころのネジネジ頭は超可愛かったと思う。いつも可愛くさせて偉かった」など、どちらかというとどうでもいい話をするのです。それを「偉かった、偉かった」と自画自賛するわたしを、夫は、「そうやな。あの判断はよかった。偉かった」と言っていました。
「長い間続いてきた夫婦」として、そういう、ふたりだけが知っているお互いの「偉かった話」をしたいなあ。もっともっとしたいなあ、と思います。
このオバフォーもスタートして5年半になろうとしています。「長く続けた」というには、まだまだ短い期間だけれど、それぞれが自由に出たり入ったりしながらも、ここでゆっくりと時を紡いで「ああいうことあったね」「あれ、偉かったね」「わたしたちすごかったね」と言えるようになれたらいいなあ。人生後半の楽しみです。
ここまで書いてきた、同じようなことを以前にも書いたような気がしていますが、まあ、いいか(笑)。
「続ける」って努力とか根気の問題として語れることが多いけれど、「『思い出』という楽しみの貯蓄」だと思うようになりました。だれかと分かちあえるとなお素敵。
今日は、視覚障害のあるKEIKOさんの記事が公開されています。とてもいい話なのでぜひお読みください。どんな種まきをしたのか。その場に居合わせたかった!元気になりますよ。
オバフォーは、今週もコツコツと更新します。カレー記念日&よもじ猫への投稿もお待ちしています!推敲なんかしないで思いついたら、すぐに気楽に送ってくださいねー。
はしーば
もう5年も経つのですね。
思い返せば、オバフォーの記事に、メンバーの方々に、どれだけ笑わされ、救われたか知れません。
ずっと続いていて欲しいです。
こんなユニークな、会、メルマガ、よろず知恵袋、お助け処、(一言じゃ足りない!)他にありますか!?
オバフォーで感じたことや覚えたこと、学んだことのアレコレを、私は思い出の定期貯蓄に積立てることにしました😊
満期、いつに設定しようかな?