【月刊★切実本屋】VOL.22 脳福(造語)について
30代40代に比べて、めっきりミステリーを読まなくなった。
全く読まないわけではないが、30代ぐらいのときは読む本の9割ぐらいはミステリー系だったので、1割程度の現在と比べると、その変化に望郷、哀切の念すら覚える(おおげさ。しかも使う言葉が間違ってる)。
どうして読まなくなったのだろう。中年になって、現実の方の「先が読めない」という意味でのミステリーに翻弄され、それだけで十二分にお腹いっぱいなので、活字でまでハラハラドキドキしなくてもいいと思うようになったからだろうか。それとも、昨今のミステリーによく登場する、心が欠落した登場人物や希望のかけらもない絶望的な状況への耐性がなくなったからなのか。…きっと「どっちも」だな。
そんななか、最近、読んだふたつの小説はどちらもミステリー要素が強かった。厳密にはミステリーというジャンルではないのかもしれないけれど。
辻村深月さんの小説を初めて読んだ。『かがみの孤城』だ。
2017年に発売され、昨年の本屋大賞を受賞したこの小説は、生きづらさを抱えた7人の中学生が、鏡を通り抜けひとつの家に集まるというSF仕立ての作品だ。正直、あらすじを読んだ時点では食指が動かなかった。実を言うと、いじめ、孤独感をモチーフにして子どもたちを描いた小説がちょっと苦手なのだ。
やるせない現実から目を背けたいという自分の腰抜け気質のせいかもしれないが、そういう子どもたちの気持ちや日常を、小説という形で的確に緻密にリアルに描写されればされるほど、書き手の「自分はこういう心理をわかっている。要するにこういうことでしょ」という不遜さにも見えて、なんだか腰が引け気味になってしまうのだ。偏見まみれでゴメン、だが。
でも、そんな苦手意識をかいくぐって読んだのは、パート先の先生があんまり「面白かった」とおっしゃったからだ。読んだら、本当に面白かった。
終盤のせつなさ、そして、随所に張り巡らされた伏線が回収されていくのが実に実に心地よかった。ああ、そういえば「面白いミステリー=伏線回収の気持ちよさ」だったことよ、と思い出した。
そして、宮部みゆきの『桜ほうさら』。こちらは、6年前に刊行されて、その後、NHKでドラマ化もされた(見てない)時代劇ミステリーだ。
宮部みゆきはデビュー当時からのファンで、1990年代中盤まではゾッコンだった。『パーフェクト・ブルー』『レベル7』『龍は眠る』『火車』あたりは、貪るように読んだ。ちなみに、いまだに自分の宮部みゆきベストは、やはりこの時期に書かれた『ステップファザー・ステップ』だ。
今も宮部みゆきは好きな作家だが、自分のミステリー離れと共に、追いかけて読むことはなくなった。上述の「心が欠落した登場人物への耐性のなさ」という自覚は、もしかしたら彼女の『模倣犯』が由来かもしれない。すごくよくできた小説だとは思ったのだけれど、読んでいてやたら辛かった。
でも今回、図書館の文庫棚に並ぶ『桜…』上下巻が自然に目に飛び込んできて、シューっとそこに焦点が合って、気がついたら手にとっていた。読んだら、これまた本当に面白かった。
そうだ、忘れてた。宮部みゆきの時代小説って、庶民が清廉で心が洗われるのだった。読むと、こんな自分でも、ついうっかり、「理不尽なことが多い人生だけど、真面目に明るく生きよう」などと思ってしまう。そして、出てくる食べ物がとにかくやたら旨そう。なんとなく食欲がないときは、宮部みゆきの時代物を読むに限る。逆に、ダイエット中は読まない方がいいと思う。
人に会ったり、美術作品を見たり、観光したり、映画を見たりと、時を忘れて楽しめたり、それを見聞きしたことで今までと違う世界観や感情が得られるものは多々あるけれど、読書の程よい「他力本願じゃない感じ」は意外と唯一無二じゃないだろうか。
いや、他人が書いたモノを読み耽るのだから他力本願といえば他力本願なのだけれど、読み進むことは、自分にとっての「新天地」までの地下道を、今後いつでも行けるように掘り進むことに少し似ている気がする。夢中になってそうすることは、地上に出て目を上げたときに飛び込んでくるのがおなじみの場所…要するに日常だったとしても、新天地なんだと思う。
その感覚は、実際に新しい場所に行ったり何か新鮮なモノを見るより、脳内限定という意味では、より新しさを意味する…って解釈でどうだろう(誰に聞いてる?)。そして、この感覚は、脳の活性化やリフレッシュという言葉だけでは芸がないので、いっそ「脳福」という新語でどうだろう(だから、誰に聞いてる?)。
さきほどから読み始めたのは、清水ミチコと酒井順子の共著『芸と能』。これまた芸がある脳福の予感がする。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
爽子
つまみさーん🎶こんにちは。
脳福、脳福。わかるなぁ。
芸と能。わたしも去年の秋頃読みました。
楽しかったです。
どちらも好き。
ちょこちょこよんで、「はー^_^」に、もってこいだと思います。
凜
つまみさん、こんにちは。
「脳福」わかります!ここ数か月、名作(私にとっての)に恵まれすぎて、もう新天地っていくつあるんだ!と脳が痺れてます(^^♪すごくうれしい痺れ方。
いまさらながら小野不由美の「12国記」シリーズ(既刊は全巻制覇しましたが、今年やっと18年ぶりに続巻が出るという素晴らしいタイミング!)にはまりすぎ、そしていまごろ「イティハーサ」(漫画ですが)初めて存在を知って圧倒され、黒井千次(知らなかったけど宮本輝のおススメだったので読んでみました)「眠れる霧に」にしみじみし、「あきない世傳金と銀⑥」を面白さのあまり一気読みし・・。
辻村深月さんの本はいま図書館でざっと400人待ちなんですが、楽しみです。
「桜ほうさら」も読んでみます!
本の世界をいちど通って戻って来たのは同じ日常であっても違う世界になるというか、違う景色になりますね。つまみさんのおっしゃることすごく首をぶんぶん縦に振ってしまいました。
okosama
どうだろうどうだろうと聞かれたら、答えてあげるが世の情け…「脳福」は賛成!その前の比較は疑問です(^^)
外出できなくても、例えば家でなんシーズンもの海外ドラマを鑑賞しても「新天地」に行けると思うのですが、どうだろう。
つまみ Post author
爽子さん、折に触れコメントくださり、ありがとうごぜえます!
眼福とか心身の癒しとか、自分が若い頃にはあまりなかった認識だと思うんですよね。
ならば、どさくさに紛れて、脳福と言ったもん勝ちじゃね!?と(^O^)
『芸と脳』、このふたり、噛み合ってそうで噛み合ってないと思う。
これ、揶揄じゃなく、それでいい気がします。
つまみ Post author
凛さん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
うわあ!
出てくるタイトル、知らないものばかり。
触発されます。
『十二国記』もたぶん全部は読んでないんですよね。
それにしても「脳が痺れる」って、いい表現!
リスクを感じるほどの幸福感って感じで。
肉は腐りかけが旨い、みたいな(ちょっと違いますね)。
同じ日常であっても違って映る、というのがすごい好きなんです。
共感いただいてすごくうれしいっす。
つまみ Post author
okosamaさん、こんばんは。
ぐふふっ。
そうです、旅は道連れ世は情け。
情けは人のためならず、いずれ自分のためってことで(^^;)
海外ドラマ、新天地に行けます行けます。
私は「ビックバンセオリー」で何度も行ってます。
Twitterでも少し言い訳したのですが、今回の2作品、どちらも読みやすくて一気に読めて、そういう感覚が久しぶりだったのです。
なんだか最近、どんなに面白い本でも、読むのに時間がかかっちゃうなあと思うことが多くて、読書体力が落ちたような気がしていたので、うれしかったのでした。
本当はそのことをメインに書くつもりだったのですが、書いているうちに忘れてしまい、「気持ちよく読み進められた」という気持ちのみが文章の中で行き場を求めちゃって、「新天地」という場所をことさら読書でクローズアップさせちゃったところはあるかもしれませんねえ。
でも、「気持ちよく見る」と「気持ちよく読む」はやっぱり違ってて(良し悪しや上下ではなく)今回の「新天地」は偏見とは自覚しつつも「読む」に使いたいと思ってしまいました。
わかりづらくてスミマセン。
kirin
その解釈、その新語で大変結構です!!!笑
いつも拝見しながら、おお!さすが!と唸ってます。今回は3回深く唸りましたよ!
つまみさんによる推薦書籍をメモっていて、絶対読もう!リストが増えてきました。でも、今のところ、残念ながら一冊も読むことができてないんです・・・泣
いつの頃からか、時事ネタを飛ばし読みするくらいしかできなくなってしまいました。
つまみさんが冒頭におっしゃっているように、予測不能な実人生に翻弄されておなかいっぱいになってるから。でもね、最近、ふと出会う風景、人の言葉、出来事の中で、いつの間にかものすごい号泣したりしてるんです・・・これも脳福認定いただけます?それともただの情緒不安定?笑
つまみ Post author
Kirinさん、こんばんは。
前回に引き続き、コメントありがとうございます。
読書…特に小説は、読めないときは読めないですよね。
私の場合、時間があっても読む気にならないときもしょっちゅうです。
図書館で借りて読まずに返した本を重ねたら、てっぺんは雲に隠れることでしょう(虚言癖?)
日常の風景や言葉や出来事に感応するってよくわかります!
私も年々、違うスイッチが入るようになりました。
今まで見逃していたものを急に愛おしく感じたり、季節モノは「あと何回見られるだろう」と思ったり、よく会う人にもふと「また会えるのは当然じゃなく、幸運なのだ」と思ったり。
聞き流せそうな言葉に引っかかったり、人の無神経な言動がやたら許せなかったり…。
あ、Kirinさんがおっしゃりたいこととは違っているかもしれませんが、ひとつの事象や、ひとつに見える感情、今まで当然のように思ってきた諸々にもいろいろな回線があることが脳福ってことで、これまたどうでしょう(笑)。