「わからんなー」のなかの敬意と、ほどよい距離感。
おはようございます。カリーナです。
熊本県南部を中心に鹿児島、宮崎の大雨、時が経つにつれて被害の大きさが明らかになっています。明日もまだ激しい雨が続くとのこと。現地にお住まいの方に、この文章を読んでいる暇なんてないとは思いますが、どうか、どうか、ご無事でありますよう!心から、心から、お祈りしております。そして、止め、雨!
ここからは、どうでもいい話ですみません。ツイッターに犬のスーの写真をよくあげています。(下の写真は、振り返ったら北側のベランダから見送ってくれているスー)
すやすや寝ていたり、スリッパをくわえて喜んでいたり、玄関先で私や娘を待っていたりする瞬間、上の写真のように見送ってくれていたりするものを下手なりに撮影してアップするんですが、ずっといっしょに暮していると、こういう「気持ちがわかるとき」って実はそんなに多くないんですよね。
廊下を歩いてとことことやってきたものの微妙なところで立ち止まり、じっとこちらを見ている。外に出たがるから窓を開けてみるが出ないままじっとして、また戻ってきて何か言いたげにじっと見る。近づいてくるから撫でようと思って「おいで」と言ってもこない。ただひたすら退屈そうに寝ていて「君、幸せかい?」と聞きたくなる。
…というような「何を考えているのかわからない」時間が、たくさんあります。じっと見ているとき、言葉が通じないので「どうしたん?」「何?」と聞いても、ただじーっと見ている。つくづく言葉って便利だなあと思います。スーが何を感じているのか、底の底のところはわからないからです。人間側の「わからんなー」と犬側の「わからんなー」が絡み合うようにして「人と犬の暮らし」的なものは、日々、紡がれていくのですね。しみじみ。
「わからんなー」のなかには、ちょっとした敬意も含まれています。わかったふりをしないとか、わかるようにいろいろ想像してみるとか、こうかなと思うことをやってみるとか。あと、「わからんなー」は、案外、ほどよい距離を保つ効果があるのかもしれません。人と犬の暮らしも相手に干渉しすぎない距離、結構、大事なんですよね。人間同士もそうですかね。「わからんなー」のなかの敬意と、ほどよい距離感。
ほんとに、わからんもんです。自分以外は。というか、自分も。
相手を大事に思ったら、「わかる」の前で踏みとどまって想像すること。これ、人間関係(動物とも)のキモかもしれませんねー。
土曜日、じじょくみさんの「崖のところで待ってます」更新されています。ハラハラドキドキの展開。ぜひ、お読みください。そして今日はゆみるさんの「黒ヤギ通信」。タイトルの「水茎」の意味、知らなかった!グーグルで調べて初めてわかりました。み、みなさんはご存知でしょうか。(わたし、こういうのほんと知らないなー涙) 今日のカレー記念日も、最高です。
まだまだ各地で強い雨が続きそうです。どうか、お気をつけてお過ごしください。