蝉の音を聴く私、蝉を食べる犬、の夏。
夏らしいことは特になにもしていない(これからもしないであろう)わたくしですが、早朝、犬の散歩で並木道を歩いたり、公園の周囲に広がる雑木林を眺めていたりすると夏独特のくっきりとした陰影の荘厳な緑が広がっていて「よし、夏だ。わたしはいま、十分に夏を生きているぞ」と思います。思おうとしているともいえるけども。朝5時台は、蝉も本調子に向けて助走している感があり、蝉の声に満ちつつも静謐な感あり。
いま、おそらく日本中の木々があるところに蝉がいて、大合唱をしているでしょう。そう思うと夏は不思議な季節。蝉があともう少しガーガー音をたてて「周囲一帯で工事をしている」ぐらいのうるささだったら「一斉撲滅」「根絶やし」ということにもなっただろうし、聞こえないほどに小さかったら夏の風物詩にもならなかっただろうし、「うるさいけど耐えられる。聞きようによっては情緒がないわけではない。不思議なことに静寂を強調することもある」という音質、すごい。そして鳴いているのは、男子のみ。男性合唱団。
スーは、蝉が飛んでいると追いかけて空中でキャッチし、そのまま食べます。世界の潮流に先んじる昆虫食。先代の犬パロンも「蝉の踊り食い」をしていたので、うちの犬は蝉好きなようです。あいつら、やはり、人間じゃない。
蝉といえば、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」ですが、「芭蕉 蝉」で検索してみたら、一番最初にこちらの句が出てきました。芭蕉は、やすやすと本質を衝いて時を超えてくる。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の聲
今日は、プリ子さんの「日々是LOVE古着」が更新されています。記事の中でリンクされているVCM(Vintage Collection Mail)、服だけでなくアクセサリーや時計など面白いものがあって延々見てしまった。ブックマークしておかねば。プリ子さんのエスニックを取り入れたコーディネート素敵です。ぜひご覧ください。
そういうわけでオバフォーは、今週もコツコツ更新します。時間のあるときに遊びにきてください。待ってまーす。
Jane
子どもの頃、実家の庭の池で鯉を飼っていました。普段はのっそり底にこもっていた鯉ですが、ある夏の日池のほとりで、ジィージィーと小さくなっていく蝉のくぐもった声の先を見ると、水面近くに鯉の頭。ああ….あの時の断末魔を思い出したなあ。
今私が住んでいる場所では、蝉一匹の声もしないんですよ。
特に蝉の声が聞きたいわけでもありませんが、ヒグラシの声は風情がありましたよねえ。夕立後の青く霞む山々に白い靄が上がっていく中、もの悲し気なヒグラシの声を聞きつつ、香を焚いて「いとをかし」の感に浸っていたら、母が来て「霊が来るからやめろ」と怒られましたっけ。
子どもの頃の記憶はどうしてこんなに鮮明なのでしょう。あの池の鯉の夢、今でもよく見ます(跳ねて池の外に飛び出して5mくらい跳んで跳んで池に戻ったのを目撃したのが、すごくトラウマになったから)。