幸田文を読んで思うこと
映画『PERFECT DAYS』の話ばかりしている。ここでも書いたし、会う人会う人に映画の素晴らしさを語っている。この映画の中で主人公の平山(役所広司)が眠る前に文庫本を読む場面がなんどか繰り返し出てくる。彼は一冊読み終わると、町の小さな古本屋に出かけて、100円均一のコーナーから一冊だけ文庫本を選ぶと、女主人の前に差し出す。すると、彼女はなんとも的確な一言を呟きながら会計をしてくれる。幸田文を差し出せば「幸田文はもっと評価されていいわよね」と呟き、パトリシア・ハイスミスを差し出せば「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だわ。恐怖と不安が別物だってことを彼女から教わったわ」と呟く。それに答えるでもなく、曖昧に会釈しながら本をポケットに突っ込む平山。
そんなことを呟かれて、読まないわけにはいかない。ということで、映画館を出た足で、大きな本屋へ出かけ、幸田文とパトリシア・ハイスミスの文庫本を探す。幸田文の『木』はすぐに見つかったのだが、パトリシア・ハイスミスは映画に登場した『11の物語』が見当たらず、『太陽がいっぱい』と『アメリカの友人』を手に取り、一緒に幸田文の『おとうと』も購入する。
映画の中の古本屋の女主人が言うとおりだ。幸田文はもっと評価されていい。『木』は子どもの頃から木々に親しんだ著者の木にまつわるエッセイ集だが、木々を愛でるだけであれほどの文章が書けるものなのかと驚いてしまう。木の専門家が「この木にはアテがあるから、材木としては使えない。どうしようもない」と聞かされた幸田文は、最初からダメだと決めつけられたアテのある木に想いを馳せ、その木を材木として製材してみてくれと懇願する。専門家のほうはなぜそこまでアテのある木に執着するのかと驚くが、それでも試しにと切ってみる。すると、専門家の言う通り、アテのある木は伐られる途中から反り返ってしまう。そうなのか、ダメなのかと思いつつ幸田文はその木片を抱くのだ。
幸田文の面白さは自分が感じたことをどうすれば伝えられるのか、というところへのこだわりだと思う。それでいて、柔らかな文章で、何気ない表現で、自分のなかの激しい感情をストレートに伝えていく。さすが、古本屋の主人だけある。それをたった一言、「幸田文はもっと評価されてもいいわよね」と言い表す。その通り、もっと評価されていい。
納得して、もう一冊買っていた『おとうと』も読んでみる。こちらは、自分の弟をモデルにした小説で、可愛く利発だった弟が次第次第にぐれていく様子を描き、やがて結核に冒されていく様を姉の立場から丁寧に描いている。『おとうと』に登場する弟は『木』で出てくるアテのある木とそっくりだ。幸田文は木にも弟と同じように慈悲深い眼差しを向ける。そして、弟には狂おしいまでの愛情を注ぐ。本当だ。幸田文はもっと評価されていい。
では、次にパトリシア・ハイスミスが恐怖と不安の違いをちゃんと僕に教えてくれるかどうか。ということだが、まだ読んでいないので、読んでから書こうと思う。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。