映画館で座る席について
映画館が全席指定になって、事前に予約をしておくようになったのはいつからだろう。僕が若い頃はだいたいの映画館は、いつ入っても良かったし、どこに座っても自由だったし、いつ出て行っても誰にも文句は言われなかった。そして、映画館にはだいたいスクリーンは一つしかなくて、上映している映画も1本だけ。午前中にドラえもんをやって、午後から同じスクリーンでホラー映画がかかるなんて映画館はなかった。上映が始まったら、ずっと終映まで同じ映画を3回も4回もかけている。
だから、観客は好きなときに映画館に入って、途中からでも平気で映画を見始めて面白くなかったら途中で帰ったり、前に座っている人がアフロヘアで見にくかったら、好きな席に移動してみたり、面白かったら同じ映画を2回見たりしていたものだ。
でも、指定席制で完全入れ替え制になってからは、そういうわけにはいかない。自分でちゃんと席を決めて、わざわざネットで予約しないといけない。で、この自分で座席を予約するというのがなかなか困るのである。というのも、僕はなかなか映画に集中できないので、隣に人がいないほうがいい。真ん中の席になんて座って、両隣に人が来たら耐えられない。というわけで、必ず通路側に座る。右か左のどちらかが通路に面している席で、しかも真ん中よりも前がいい。後ろの方に座ると、スクリーンから気持ちが離れてしまうことがあるから。
というわけで、僕は大体の映画館で席を取る時は、前から10列目以内の右か左の端っこを予約する。そして、サイトで予約を取ろうとすると、僕と同じような席を好んでとっている人が何人かいるのである。以前、同じ映画監督の特集上映で、2本立てのように映画を見たことがある。でも、入れ替え制なので、2本連続で予約をとってみたのだが、5人しかいなかった観客が、2本目もほぼ同じ席で見ていたのだった。
たくさん席があるのに、そのなかから同じ場所に席を取る行為が面白くて僕は映画を見ながらも斜め前の男の横顔を見たり、手元のコーヒーを飲むふりをしながら、同じ列に座るオバさんの顔を盗み見たりしていた。まあ、自分も2本続けて同じ席に座っていたのだけれど、みんな同じようなことをするんだなあと、とても愉快な気持ちになった。
こないだ、平日の真っ昼間に映画館に足を運ぶと、予約の席表に一人も予約が入っていなかった。こういうときに、僕のような気弱な人間は困るのだ。誰もいないなら、本当に一人なら、映画館のど真ん中に席をとって、真正面から映画を見てみようかという気持ちになってしまう。でも、誰かが後からきた時に、近くに座られるんだろうな、という恐怖心もあった。しかし、その時には恐怖心よりもど真ん中で見たいという気持ちが勝ってしまったのだった。
ドキドキしながら、僕はど真ん中の席を選択する。そして、映画館に入場し、予約した映画の上映スクリーンのある場所へと入る。さあ、僕は一人なんだろうか。一人だったらいいなあ。そう思いながら席に着く。誰も来ない。予告編が始まる。それでも一人だ。そして、いよいよ予告編も映画泥棒も終わり、本編が始まるぞ、というその瞬間、おじさんが一人入場してきたのだ。そして、階段をゆっくり上がり、僕のいるあたりまでやってくる。ちょうど僕の一列前である。おじさんは慌てず騒がずゆっくりと歩いてきて、僕の真ん前の席に座った。大きめの映画館だったので、おじさんが座ったからといって、別段不自由はない。頭が邪魔になってスクリーンが見えないということもない。けれど、ときどき動くのだ。首をゆっくりと左右に振る。その頭頂部だけが少し見える。そして、左右に振ると、その後でほんの少しだけ、鼻から「むふん」という音を立てて息を吐くのだ。
2時間弱の映画を見ている間、おじさんは定期的に首を振り、「むふん」と息を吐いた。途中からその「むふん」が気になってだんだんと映画が遠のいて行った。やっぱり前のほうの隅っこに座るべきだった。ほらね、慣れないことをするからだよ、誰かに言われたような気分だった。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。