虫が好く
幸田文のエッセイを読んでいると、ときおり「虫が好く」という言い回しが出てくる。「植物は動物とちがって愛想がわるく、つきあいいい相手とはいいがたいが(中略)つまりは虫が好くのである」と綴っていたりする。「虫が好かない」というのは昔はよく使われていたけれど、その反対の意味で、「虫が好く」という言葉が一般的なのかどうかはわからない。
そう言えば、中国からやってきた若い友人に半年ほど前、幸田文を勧めたところ数日してメッセージがきた。「幸田さんの日本語はおもしろいですね」とあった。
木を人のように扱っていたりするだけではなく、文章の形容の仕方などがいちいち「なるほど」と思わされるらしい。幸田文が、というよりも昭和の文体が、という意味だと思う。そう言えば、あの頃は小説だけではなく、テレビのアナウンサーも、いわゆる慣用句をよく使っていた気がする。
「虫が好く」という言い回しが気になって、考えていると、子どもの頃のことを思い出した。僕が本が好きになって図書室から本をいっぱい借りて読むようになると、同級生から「本の虫だ」と言われたりした。そう言えば、すぐ泣く従姉妹を母が「この子はかんの虫がきつい」と言っていた気がする。
こうなるとさらに気になってGoogleの小窓に『虫』と入れてクリックすると、「昆虫」という文字と共に複眼の虫の頭部の写真がいくつも登場する。うへー、これじゃない!と慌てて『虫』の後に『慣用句』と入れると、たくさんの言葉が出てきた。
腹の虫がおさまらない
蓼食う虫も好き好き
弱虫
虫酸がはしる
虫がいい
この辺りの表現に共通しているのは、人の体の中には何かいる、という感覚だろうか。ムカムカして収まらないのは、腹の中に虫がいて暴れているようだ、自分ではコントロールできない、という感じがよく伝わる。虫が好くもという言葉も、なぜだかよくわからないけれど自分のなかに虫のようなものがいて、こいつのせいでなんだか好き、という雰囲気である。
こんな感覚を伝えるとき、「なんだかよくわからないが、好きなのである」というよりも、「なんだかよくわからないが、虫が好くのである」と書くと、いろいろ考えたのだが、というどうしようもないじゃないか、虫が好くんだから、という感じがしておもしろい。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。