2025年の万博の真ん中には何があるのか。
1970年の大阪万博の頃、僕はまだ小学校に入ったばかりだった。「もうすぐ万博が始まるぞ!」という感覚は、まず『EXPO’70』という文字でやってきた。街のあちこちに、『EXPO’70』という旗や看板が取り付けられ、確か学校のゴミ箱にも『EXPO’70』という文字がプリントされていた。TVでも刻々と建設されるパビリオンが紹介されて、なんとなく気持ちが高揚し始めた。
最初の衝撃は、実家近くを通る国道171号線をインド象が通ったことだった。神戸の港に到着した象たちが、千里の万博会場を目指してゆっくりと歩いていく。その姿を見ようと、僕たちは小さな旗を持って道路沿いに集まった。
どのくらい待っただろう。道路が警察によって封鎖され、遠くで歓声があがり、ゆっくりゆっくりとインド象の大群が現れた。あれは何頭ぐらいだったのだろう。大群が通ったという記憶だけれど、もしかしたら、数頭だったのかもしれない。けれど、動物園の檻の中でしか見たことがなかった象が、自分がいつも通っている国道を歩いているというのは衝撃だった。途中、でっかいうんこをしたり、おしっこをドバドバ流したりしながら、象は歩いて行く。わりとアッと言う間の出来事だったけれど、いまもあの光景は覚えている。
そんな、1970年の万博に、僕は何度か親に連れられて行った。入場口を入ると、みんなが中心にあったお祭広場を目指す。そこには、あの太陽の塔がある。万博に来たんだから、太陽の塔を見ないと始まらない。そんな感じだった。あの異様な顔つきに、笑ったり、少し戸惑ったりしながら、みんなで見上げた。「ああ、いま自分は万博会場にいるんだ!」という不思議な高揚感があった。
さて、2025年の大阪万博である。行こうかな、どうしようかな、と思っていたのだが、機会があって行くことになった。なかなか素晴らしかった。入場ゲートから中に入ると、大屋根ゲートがあり、主要なパビリオンはその中に建てられている。太陽の塔のようなど真ん中に中心となるようなものはない。みんな、いくつかのパビリオンを見て、お腹が減ったら何か食べて、会場内をブラブラと歩く。そして、それなりに万博を楽しむと、会場のぐるりと囲んでいる大屋根リングへと向かう。木製の大屋根リングは、会場をぐるりと囲んでいて、ゆっくり歩くと30分ほどかかるそうだ。
ここからの風景はすばらしい。各国が趣向を凝らしたパビリオンを俯瞰して、夢洲を囲むように広がる海を眺め、吹く風に身を任せながら、ぼんやりと歩く。特に何があるわけではないから、あまり混んではいない。そこを歩きながら、70年の万博なら、大屋根リングに囲まれた会場の真ん中に太陽の塔があったんだろうな、と思う。そして、2025年の万博は中心に何があるんだろうと思い、会場の真ん中あたりに目をこらす。すると、ぼんやりと小さな森のようなものが見える。
そうか、2025年は、万博会場の真ん中に目立つモニュメントを置くような時代ではないのか。たくさんの国と人々が集まっている場所の、境界線の上を歩きながら、勝手に想像し勝手に思いを馳せる時代になったのかもしれないな。
そんなことを思えただけで、万博に足を運んで良かった。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。
uematsu Post author
匿名さま
昭和はなんでもあり、でしたね。
というか、「たぶん大丈夫」「きっといい人」が、
当たり前に信じられていた時代なのかも。
なな
衝撃のあまり名無しで送信してしまいました(^^;;
ほんとにそうですよね、たぶん大丈夫、きっといい人。最近は道を尋ねられても、一瞬身構えるようになりました。
uematsu Post author
ななさん
ありがとうございます。
本当に身構えますよね。
家の電話にはできるだけ出ないようにしてるし、
道で声かけられると、
何かの勧誘だと思っちゃうし。
便利になったはずなのに、生きづらい(泣)