他人の「エライの種」を見つけて伝える人は、エライ。
「別冊 どうする?40代からのファッション&生き方」は、これから少しずつサイトをリニューアルしようと思っているのです。
じじょうくみ子さんのお友だちでWEBデザイナーのNさんにお力をお借りすることになり、メールでやりとりを始めました。「バックアップはしていますか?」と尋ねられ、「はい!しています」とお返事したら、
エライ!!偉いよ、カリーナさん!
とほめられたのです。そんなにバックアップとっている人いないよーと。
思いもしなかったほめ言葉に舞い上がりました。そ、そうだったのか。
あれも、足りない。これも、できていない。
と思ってきたのに、わたし、実は、エラかったんだ。知らんかったー。
そういうことならば、と。「別冊」のメンバー全員を緊急招集し、この顛末を神妙な口調でもったいぶって長々と語り、思う存分、「どうだ」と。「実はわたし、エライんだよと。プロが言うんだから、間違いないよ」とミーティングで自慢をかまし、訓示のひとつも垂れたかったのですが、それがだーれも、リアルに、そばにいない哀しさ。グヤジイので、このように記事に書き、より大規模に仰々しく自慢することにしました。
と、まあ。この場合は、「サイト運営について、その道のプロにほめられた」わけですが、たとえば家をリフォームしようということになったとき、その道のプロに「奥さん、偉いです。こんなに
しっかり家事をなさっているなんて」なんて言われるとうれしいですよねー。「あそこも片付いていない、あそこも掃除していない」ダメ主婦だと思っていたのに、「あ、わたし、がんばっていたんだ。エラかったんだ」と思える。
子育てなんかもそうじゃないかなあ。保育士さんや先生に「お母さん、エライです。こんなにいい子に育って」ってほめらえるとうれしいよねー。介護もそう、看病もそう。自分の気づいていない「エライの種」を見つけてもらえたら、すごーーくうれしい。中年以後の容姿もそう。「肌の手入れもしていない、お化粧も下手。服もテキトー」と思っていたところに「いつも気を遣っておられますね」なーんて言われた日にゃ、心の中のジャニーズjr.がクルクルとバク転しちゃいますよ。
その道のプロのなかにもNさんのように「エライの種」を積極的に見つけて言葉にしてくれる人と、見つけているのか見つけていないのかわかんないけど、まったく言葉にしてくれない人がいますね。わたしは、言葉にするほうがいいと思うな。自分の「エライ」は見えないから、「外からの視点」で評価されたら、「エライの種」が発芽してジャックと豆の木の豆の木みたいに伸びるかもしれないもん。
ホメて育つのは、子どもだけじゃないんです。
このごろ、しみじみ思うんですが、人間、年をとってもほめられたいんですよね。私の感覚じゃ、年をとるほどにビミョーに自信を失うから、ほめられると「生きる勇気」につながる。自分の
「人生の肯定」につながる。それは、自分の母親や姉、周囲の年長の人々を見ていてつくづく思います。「ほめられた」ことでパッと表情が明るくなり、ジンワリといつまでも「自信の灯」に心が温められる感じ。
誰かのことを外側から見て、ふと「いいな」と思ったとき、出し惜しみせず、その機を逃さず、大仰でなく相手に伝えること。お金もかからなければ、手間もかからないのに、効果の大きいプレゼントですよねー。「ほめる」っていうより、「正当に評価する」っていったほうがいいかな。わたしは、つい調子に乗ってホメるという軽薄なクセがあるから、もっと、おもねらない言葉の使い手になりたいです。←努力目標
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