高齢化社会に生まれてラッキー。心をひらいて楽しみたい。
年齢の取り扱い方が、わたしたちの課題になりそうな気がします。
いまは、まだテレビを見ていてもお年寄りの扱い方には、一定のパターンがありますが、いつまで続くでしょうか。「弱者として敬う」姿勢、いつまでイケるかな。若い世代に、「いやいや、もう、勘弁してください。年寄り扱いしませんから、そのかわりに特別扱いも勘弁してください」と言われるようになるときが、早晩、訪れるでしょう。
年代を絞り込んだ販売戦略も限界にきていると思います。
世代別マーケティングを極めていくと、どうしても世の中が年寄り臭くなる。男性対象の週刊誌なんか、その典型ですね。現役世代が週刊誌を読まなくなって、おじいさん世代が主な読者になってしまったので「死ぬまでセックス」「80代でも大丈夫!」なんて記事を頻繁に掲載しておられますが、あの記事タイトルを目にしたときに漂う、なんともいえない老人臭。BS放送などで立て続けに加齢対策サプリメントのコマーシャルを見たときと共通する、いやそれ以上の、ゲンナリ感。希望喪失感。あれら高齢者の「元気」をアピールするコマーシャルが奪う世の中の「元気」。そのエネルギー損失は、目に見えないけれどものすごく大きいと思います。
どうやら高齢化社会のニーズに単純に応えようとすると、世の中は、老人臭に満ちる。それを、一番嫌うのは、案外、高齢者自身じゃないでしょうか。
人間の遺伝子に魚や爬虫類など「進化の記憶」がすべて刻まれているといいますが、高齢者の心にも「子ども」や「青年」や「少女」の記憶が刻まれている。失ったからこそ、みずみずしく息づいているともいえる。その「みずみずしさ」は、サプリメントという効果の怪しい錠剤では決して活性化されないものです。これから本格的に老いるわたしたちは、そこんところをちゃんと言わないとな。何を求めているのか、そこに含まれる「希望」をかたちにして、次の世代にひきつぐ使命があるのかもしれません。(ちょっと話が大きいですけどね)
今後、否応なく高齢化が進むことで、いいこともたくさんあると思っています。多くの人が、70代になっても働く必要が出てくるため、「年齢を気にする」場面はおのずと減ってくるでしょう。気にする人は気にしていればいいけれど、そうじゃない人たちが増えてきて、「異年齢ミックスのプロジェクト」(仕事でも趣味のサークルでも)はどんどん増えると思います。年齢の垣根は、年功序列制度と表裏一体なだけに、案外、簡単に取り払われるのではないか。若い人と「新人」や「ヒラ社員」で肩を並べてもいいじゃないですか。いっしょにランチをしたら、思わぬ発見があり、友情だって育つかもしれません。
心を広げておきたいなあと思います。身近な場所で異年齢コミュニケーションを楽しめるように。ひがまず、すねず、背中を向けず。ま、ときには、「若いっていいなあ」と羨望まじりの愚痴をいいながらですけどね。いい時代に生まれてきたなあと、これはほんとに思っています。インターネットという強い味方もいます。
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さくら
週刊誌の記事。 そうだったんだあ 。と一気に腑に落ちました。
全然買わないのですが、新聞の週刊誌広告だけは好きで
必ずチェックしています。
それがこの頃、タイトルだけ読んでも、ざわざわ気持ち悪いなと
思っていました。
制作側の40代、50代の想像力が貧困。
みもり
今思うのは、「資金」って大切なのだなぁ…です。
ある程度の年齢が読む雑誌は高い!そしてアクセサリーも「買えない!」値段で掲載されていて。
足元の生活を、とりあえず隠しているように思えてならないんです。
「夢」のため、美しいものを見るための「雑誌」を割り切って見たりしております。
もうすぐアラヒィフですが、公では「年相応」プライベートでは、つちかってきた乙女が
ちらほら顔を出している…そんなところです。
CMは何度も同じものを放送するので、うるさくて見れません…。