自己顕示欲や自己愛から逃れることはできないが。
昨日、兵庫県の西宮市大谷記念美術館に「SIMONDOLL 四谷シモン」展を見に行ったら、冒頭のパネルに「僕は幼いころからずっと人形を作りたいと思ってきた」というようなことが書かれていて、そのあとに、実際に70歳を迎える現在まで作りつづけてきた人形が静謐に並んでいました。
作品を見ながら3回ほど泣きそうになったのですが、いったい自分が何にここまで感動しているのか、わからないまま帰りました。
家に帰ってしばらくして思ったのは、ところどころに掲げられたシモンさんの「文章」と人形という「作品」から「自己顕示欲」のまれに見る少なさと、それゆえの「純度」を感じ、圧倒されたのではないかと気づきました。
シモンさんは、「人は、ナルシズムから離れられない」と語っていましたが、そう語るこの人の作品と文章に自己顕示欲がほとんどまったく感じられないのです。
最新作の人形がいまは一番、「かわいい」と感じていらっしゃるそうで、その秘密は、「片方の目を少しずらした」ことも一因らしく、「やりすぎちゃいけない。必要なのは抑制だ」とインタビューで穏やかに語っておられましたが、そうなのか!と思い、もう一度、その人形の目を見に行ったけれど、何度見ても、どちらから見ても、どこが「ズレ」ているのかわかりませんでした。
抑制の単位が、わたしの目に見えないほど小さいんだな。これまでふれた抑制という言葉のなかで、もっとも細密な「抑制」です。ああ、その「抑制」を顕微鏡でのぞきたい!
自己顕示欲は、おそらく自己愛と不可分なものなので、なくなることはないし、なくすことを目的にすると大変おかしなことになって危険ですが、でも、やっかいなものであるのは事実です。
自己顕示欲ゆえに自分をよりよく見せたくなるし、注目もしてほしくなるし、思うようにいかないで落ち込みもするし…。
その「やっかいさ」や「うっとうしさ」から逃れたいと思ったら、手を動かし、手がつかんだ「感覚」と頭でつくりだす「言葉」をできるだけ近づけるようにすることが大切なのじゃなかろうか。その繰り返しが、少しずつ少しずつ自己顕示欲の暴走や呪縛を遠ざけてくれそうな気がする。
口にする言葉は、手の感覚を後追いするぐらいがいい。
お近くの方は、ぜひ。美術館の庭には水琴窟もあります。小さな鳩のオブジェが緑の下草からいくつものぞいているのもかわいかったです。
takeume
私もインタビュービデオを見た後に
もう一度「目」のズレを見に行きました。
でも、そのズレは解りませんでした。
パプリカ
カリーナさま
こんにちは。
『DOLL展四谷シモン』ご覧になったそうで
素敵ですね。
お庭の水琴窟
ため息~~
写真の人形の眼のズレ
言われてみれば、
そんな気もします。
わかるかわからないほどの眼の位置のズレが
観る人の心をひきつけるのかもしれません。
首の傾げ具合だけかもしれませんが、
ボッチチェリの
『ヴィーナスの誕生』を思い出しました。
こちらはヴィーナスよりは
まだ少女ですが。
いつも極端にずれまくりのコメントですみません。
でも、楽しいです。
ありがとうございます。