「マザコン男なんて…」と軽々しく言ってきたけど、それはもっと奥深そうだ。
中村うさぎさんとマツコ・デラックスさんの往復書簡を4冊、まとめ読みしているんです。とてもおもしろいんですけど、政治を語るところだけが、あまりおもしろくない。自分の言葉で語ろうと日々、自らを追い込んでいるであろう、このおふたりをもってしても、どこか言葉に「借り物感」の出るところが、政治と個人の間にどうしても生まれてしまう距離なんだと改めて思いました。
この一月になくなったやしきたかじんさんの闘病生活を奥さんのへの取材にもとづいて描いた百田尚樹さんの著書「殉愛」。全国放送の番組に加えて、わたしが住む関西ではさらに特別番組も放送されました。
百田さんが純情少年の面持ちで、涙ぐまんばかりに、たかじんさんの奥さんの「無償の愛」を力説する場面。どういったらいいのでしょうか。真夏の海で焼いた肌に残っていた絆創膏をはがしたら、びっくりするほどの白い柔肌が出てきたみたいな驚きとでもいえばいいか。「ああ、この人、こんなに色白の少年だったのね!」と。
たかじんさんも、百田さんも、目の前に表れた若く美しい女性に「母の愛」を見つけたと直感したときには、なんとまあ、無防備に、前のめりになっていることか。
政治を語るときに「強硬」な人たちが、ある種の女性にはなぜか、ひどく無防備だと感じつづけてきましたが、その情緒の源泉と奔流の理由をわかりやすく示してもらった気がしました。
「政治を語る」ことは難しいですね。どうしても「借り物」の言葉で語らなければならないし、「借り物」の言葉で語りつづけることが一種の陶酔を生むし、確信めいたものも生む。
それでも考えなければならないのが政治なんでしょうけど、何やらとても倒錯しやすい世界のようなので心して接したいと思います。
これまで「マザコン男なんて…」と軽々しく言ってきましたが、マツコ・デラックスさんの母への複雑で切実な思いを知り、劇団ポツドールの三浦大輔さんが「母に欲す」について語っていることなども読み、「殉愛」を語る百田さんの純情っぷりにふれたいまは、マザコンの表れ方の多様性と底知れぬ深さを突きつけられた思いです。
今週も「どうする?Over40」は、毎日、コツコツと更新します!木曜日には、半年ぶりの中島。の気ままに更新「おとぼけ七五調」も登場です。お楽しみに。