これを現実と見定めて。バラ色の人生はなくても、よりよき明日はある。
こんにちは。カリーナです。
夫が救急搬送されてから二カ月ちょっと経ちました。いま、急性期病院を経て回復期リハビリテーション病院に入院しています。とてもよい病院なので「これからの闘病のなかで、いまが最高の環境かもしれない。こんなに安心して診てもらえることは、今後、そんなにないかも!」と見舞いに来てくれた友だちに話しながら、ふと思いました。
「心から安心して診てもらえる環境」にあることがわかっているなら、もっと、ほかのことに取り組めるのではないか。
ほかのことといっても夫の闘病に関係することになるのですが、「看病」というと、ほぼオートマチックに「病院に通い、病人のそばにいる」ことだと考えがちで、自分も前のめりになり、周囲もそういうものだ、それこそが熱心だと評価しがちです。そして「そうしない」ことに、ある種の罪悪感も抱きがちです。病院に行かない、行けない日は、自分を薄情だと責めてしまうことだってあります。
ほかのことは考えず、ほぼすべての時間を「そばにいること」と「祈り」に費やすべきなのではないか、という使命感。
もちろん、それは大事なことですが、自分が当事者になってみて無思考にもつながるなと感じています。端的にいうと「明るく健気にふるまう受け身の人」になってしまう。それは、本当に将来の「よりよき闘病」を手に入れる姿勢なのか。
きっと、両方が必要なんですよね「そばにいて、ささいな変化に気づくこと」と「長期的かつ複眼的に考えて将来に向けてやるべきことに気づくこと」のふたつが。
後者は、少しドライに見えるかもしれませんが、闘病もまた社会的な営みである以上、また「人生を生きる」という諸問題の解決や交渉と無縁にあり得ない以上、必要な視点なんだろうと思います。
わたしには、なにができるのか。そして、どうしたいのか。これが自分の現実だと見定めて主体的に考えていきたい。そして行動したい。
バラ色の人生はなくても、よりよき明日はある。
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