「失った」とばかり思っていたけど、「別の幸せ」も手にしていた。
こんにちは。カリーナです。
夫が入院中の病院には、申請書を提出しておけば犬を連れていくことができます。土曜日、念願かなって友人と姪につきあってもらい、犬(スー)と面会に行ってきました。
ピカピカに磨かれた廊下をツルツルすべりながら興奮気味に歩くスー。病室を開けると車椅子に座った夫。その人が誰か気づいたスーが尻尾を振りながら駆け寄り、膝にのって顔をなめようとする…というような感動の展開にはならず(笑)、わかっているのか、わかっていないのかビミョーな雰囲気。
「スーはセラピー犬になるのは無理だねえ」「スー、ほら、パパよ。パパこっち。おいおい、どこ行ってんの」「はーい。スーちゃん、こっちに来てくださーい」「ほら、先生にキスするんじゃなくてパパ、パパ」「パパの手をなめにいきましたーーーと思いきや、なめへんのかい!?」
そんな珍騒動を繰り広げましたが、夫がいつもポケットに入れていて事あるごとにスーにあげていた小さな骨型ビスケットを先生に握らせてもらうと、スーはピタッとお座りし、夫の手からおやつをもらうのを待ちました。そしてお礼を言うみたいに夫の足先を何度もなめていました。彼なりにわかっていたのかもしれません。
小さな子どもほどちょっとした変化に臆するように、スーもかつてとは異なる夫にすぐには心を開けなかったのかもしれないなあと思います。
その後、病室に戻り、夫と犬と友人、姪の4人と1匹で過ごしているとき、何度か動画を撮りました。家に帰って見たら、みんなずっと笑っているのです。スーが動けば「どこへ行った?」と笑い、落ち着いて伏せれば「お利口さん」と微笑んでいる。その中の一つには、姪が撮ったわたしもいました。大きく口をあけて笑うわたし。とても幸せそうに見えます。
その風景を見ていて、この2カ月、「失った」とばかり思っていたし、確かに「失った」のだけど、「別の幸せ」を手にしているのだなと思ったのです。こうやって支えてもらっている、笑いあっている、その温かさをわかちあっている。その幸せが求めていたものでないからといって価値のないものではないし、何かの代替品でもない。確かにここにあり、そして光っている。
今日(日曜日)は、近所の人に車に乗っけてもらって犬の幼稚園を見学してきます。この人も犬の散歩で時折顔を合わせていただけですが、幼稚園のことを訪ねると「よかったら見学に行きますか?」と誘ってくれました。もう何年も犬を通わせていて、その幼稚園が施設を整備するお手伝いを時間のあるときにしているそうなのです。これも、別の幸せです。感謝しながら大事に過ごしたいと思います。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。月曜日の今日は、月に一度の楽しみ!プリ子さんの「日々是LOVE古着」が公開されています。70年代の勢いと自由を求める気分があふれる柄!ぜひ、お読みください。明日は、青豆さんの「わたしをライブに連れてって」も公開されます。号泣から始まる記事(笑)、こちらもお楽しみに!