「まだまだわからないことばかり!」と学ぶ、病院という居場所。
昨年9月に脳内出血で倒れてから意識の戻らない夫は、療養型の病院に入院しています。
夫の病室(4人部屋)の隣は個室で、最近、そこからは、ずっと「おとーーっさん、おとーーさん、あっちいこ」という声が聞こえてきます。娘が「あのおばあちゃん、お父さんっ子なんかな?お母さんじゃなくて」と言うので「あの『お父さん』は、旦那さんのことだと思うよ」と答えると「ああ、なるほどーー!」と納得していました。
本当はどっちかわかりません。夫にしろ、父親にしろ、保護者的な男性を呼びつづける声は、自宅の寝室から茶の間に声をかけるような日常的な響きをもっていて、それだけに一層、「呼び慣れた環境に今はいない」その女性の届きようのない誘い文句が自分の未来と重なるように感じられます。
わたしの夫の隣のベッドには、「すんません!」と丁重に声をかけるおじいさんが寝ています。わたしが病室に入ると「すんません!これをちょっと上にあげてもらえますか」とか「すんません!今日は何曜日ですか?」といつも元気よく声をかけてきて、そこから意味があるような、ないような会話を交わすのですが、先日も、いつものように愛想よく答えたつもりだったのに「なんでそんなこと、言うんですか!」といきなり怒られました。 大きなミトン状の手袋をはめた手を振りながら、顔だけ起こした、その表情が真剣です。
ものすごく久しぶりに怒られた上に、怒られるなんて思いもしなかった人に怒られたのでションボリし、なんだかちょっと損した気分になりました。よそよそしい気持ちにもなりました。「生身」の感情をぶつけられて戸惑いもしました。
わたしは、愛想のよさでやりすごしながら、おじいさんをあなどり、油断していたから、その「侮り」を糾弾されたような気分になったのだと思います。でも、お父さんを呼び続けるおばあさんも、「すんません」のおじいさんも根気強く呼びかけ、あきらめてしまうことはありません。粘り強いな。どこか楽観的にも見えます。そして、どう接するのが一番、失礼でないのか、わたしは、まだわからないままです。
毎土曜日は、娘とふたりで夫を車椅子に乗せてリハビリ室や屋上庭園に行くのですが、わたしよりずっと若い親御さんが10代と思われる娘さんを車椅子に乗せていたり、わたしよりは年上だけどその息子さんを看病しているのであろうご夫婦を見かけたりします。一昨日は、40歳ぐらいの男性が大きな機器に手足を固定されて立位をとるリハビリをしていました。張りつけにされたキリストのように頭をダラリと垂れる夫を、地味な服装の奥さんがかいがいしく動きながら、時折、空を仰ぐように見上げていました。
車椅子やベッドのなかに沈む肉体に「若さ」の印を見つけるとハッとします。そして、その驚きと心の揺れが、「夫より不幸な人がいる」という安堵と好奇の視線に見えないように気を遣い、すぐに視線をはずします。本当は、どれぐらい若いのか、どれぐらいつらいのか、見たいのだけど。
わたしの夫も、この病院という同じ世界の住人であり、わたしもその一員なのですが、いま、ここで見聞きしていること、体験していることが何なのか、何を見て、何を感じているのか、未だによくわかりません。何もかもが止まっているような、爆音の叫びが聞き取れない周波数で鳴り響いている世界に入ってしまったような不思議な感覚です。
わかるのは、まだわからない世界があるということ。それは、この眼前に広がっているということ。
ここに立ち、何を見ているのか、何を感じているのか、「人間のたくましさ」という光を頼りに、歩きながら探したいと思います。
先々週の土曜日、盛況のうちに終わった「カイゴ・デトックス」について、わたしもミカスさんも、そしてCometさんも報告や感想を書いています。参加してくださったみなさんのコメントといっしょにお読みください。
中島慶子さんの思いきった断捨離に驚きと称賛の声!この人はやるときゃ、やる。今週もオバフォーは盛りだくさん。毎日、コツコツ更新しますので遊びにきてくださいね。
みみ
実家でとっている新聞の連載を偶然読み始め、こちらにたどり着きフォローさせてもらいました。私は現在急性期の脳卒中・脳外科病棟に勤務しています。患者さんや家族の数だけ、医療者には計り知れないオモイがあるのだと感じています。「わからない世界」に共感し、「人間のたくましさ」に安堵するのこともあります。
私たちは、やはり知ること、そしてより良い方向に行くように対応することが大切かなと思います。