「うだつって何?」シンプルな問いに自分の囚われを知る。
昨日は、かつての劇団メンバーであり、いまも友だちのKちゃんとLINEでやりとりをしました。
ご存知の方もいると思いますが、わたしは、学生時代から30代半ばまで劇団を主宰していて、演劇のことばかり考えて生きていました。すごくストイックな劇団で作品創作は大変だった。お金もすんごくかかった。借金もしたし、夫にも迷惑をかけました。そして何より、劇団員に苦労をかけました。
わたしの娘は、インドネシアへの就職を考えていて就活中なのですが、Kちゃんは、そのことを励ましてくれて「やはり、あなたの娘やから挑戦者」と言ってくれたのです。自分の力及ばず、劇団は挫折し解散して、彼女を中心とする主要メンバーのその後の人生に苦労を増やしたという負い目があるので「ははは、親譲りで、うだつの上がらない挑戦者な(笑)!」と返事したら、
「でも、うだつって何?」という直球の問いが返ってきたのです。長い時間をかけて考えてきた人が突きつける本質的な問いだと感じました。
そして、ハッとしました。ほんとだ。うだつって何だろう。自分の「囚われ」を指摘されたと思いました。「そうやなあ。何やろうなあ。わたし、いつまでも劇団時代の失敗とか、お金とか、そういうのにとらわれているのかも」みたいなことを書きました。
ここからは、自慢ったらしくなりますが、彼女は、「あなたの人生カッコイイよ。わたし、友だちにこんな人がいるっていつも自慢しているよ」と続けて書き送ってくれたのです(涙)。
わたしのこれまでの人生は、若気の至りでやらかしたことが本当に多く、はっきり言ってダサいです(一度も、就職もしていない)。でも、ときどき、こんな感じで思わぬプレゼントをドカンともらうことがあり、心震えます。あのころ、長身で佇まいの美しいKちゃんが舞台に立つ姿を見るのが好きでした。もう、その姿を舞台上に見ることはないだろうけど、わたしたちの「演劇」は続いているのだと思いました(気障だけど)。
伏線の回収は、漫才なら数分、映画なら2時間程度で行われますが、人生のそれは、とても長い。回収されずに散乱したままの伏線だってたくさんあります。そして、それは多くの場合、「企みを超える」。
怖がらずに恥をかき、正直に、とりつくろわず生きていこう。かつての戦友の言葉に、思いを新たにしました。そして過去に囚われず、新しい友情を築いていこうと思いました。