うちとお隣さんに訪れる「時の変化」にあ゛ーー!となる。
スーの散歩から帰ったら、娘が「Yさんのお母さんから、電話があった。検査入院するからしばらく家にいないけど心配しないでって」「家から?病院から?」「病院っぽかった」そうか。Yさんのお母さんは、うちのお隣さん。その前夜、パジャマ姿でやってきて「ごめん。特別定額給付金の申請書、書いてくれる?」と頼まれたのです。
「いいですよ」と言ってそのままお宅にお邪魔したら、なかはすっかり変わってしまっていました。昨年の5月、お父さんが亡くなってからも、お母さんは家を綺麗に片づけていたけれど、今は、「いつもは寝ている人のおうち」になっている。
そうだったのか。しばらくゴミを出してあげていたけれど、最近はYさんも遠慮するのか、表に置いてなくて、私もなんとなく「まあ、いいかあ」と声をかけなくなってしまっていたのでした。娘さんがいるし、何人か定期的に訪問している人もいるし、わたしも忙しいし、ま、いいか、ってなってた。
ダイニングの椅子に座ると「これ、持って帰って」とお惣菜のお寿司を渡してくれました。そして「娘、いっこもこーへんねん。来たら書いてもらおうと思ってたんやけどな」とブツブツ言いながら給付金の申請書を手渡します。Yさんは再婚で、娘さんとは血がつながっていません。自分の息子は若いときに田舎に置いてきたとずっと前に、涙を浮かべて話してくれました。
給付金の申請書には、昭和18年生まれと書いてあり、「そうか、うちの姉ちゃんに6歳上か。76歳だ」と思いました。76歳にしては老けて見えるのは、病気がちだからだな。わたしが申請書を書き、いったん家に戻って通帳と健康保険証をコピーしてまた戻ってくると、「なあ、見て。障がい者割引のバスの回数券。ええやろ。半額で行けるねん」と嬉しそうに見せてくれました。申請書が出来上がったことでほっとしたのか、上機嫌でした。「ありがとうな。明日、病院に行くついでにポストに入れるわ」
そうか、そのまま検査入院になったんだな。
いま、76歳ということは、わたしがここに引っ越した22年前には、54歳だったのです。挨拶に行ったとき、「出前を取れるところ、教えてもらえませんか」と言ったら夫婦でチラシをどっさり渡してくれたんだった。今のわたしより若かったYさんを、36歳のわたしは、「自分とは関係のない年配の人」と思ってたな。
いま、スーと散歩するとき、当時の自分と同じぐらいの年齢の人に会うと、何となくスッと線を引かれているように感じるのは、そういうことなんだなと思いました。自分は「犬の散歩友だち」と思っているけど、向こうは「自分とは関係のない年配の人」と思っている。
もちろん、そうじゃない人もたくさんいてフランクに打ち解けられることも多いんですが、当時の自分はそうじゃなかった。年齢で線を引くタイプだった。
Yさんのことを自分のブログにも書いていました。今読むとすっかり忘れていることばかり。でも、思いのほか丁寧に書いていて自分でも好きな文章です。よかったら、読んでみてください。
そして、このときの私は、その4か月後に夫が倒れるなんて想像もしていなかった。あ゛―。時って、時って。あ゛ー。
そういうわけで、というつなげ方は、明らかにおかしいけれども、そういうわけで、オバフォーは今週もこつこつと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。今日は、ゆみるさんの記事が更新されています。いやー。ほんと、私ってばツイッターやメールでしかお礼状を出さなくなってほんとやばい。ゆみるさんの記事を見て反省しきりです。楽しそうだし、潤いがある!
Jane
時って不思議なものですね。私は今、歪んだ時間の中にいるというか、時が止まっているような気がします。でも自分の内の世界が止まっている間に外の世界では大事件が起こっている。
世間で何が起きているかも、自分がどうやって老後を過ごして死を迎えるかも考えずに済んだ子供時代に戻りたい。