スペック格差を超えるには、武装を解いて参加できる「遊び」の発明が大事なんだ。
ブログを書いていてときどき思うのですが「自分の生き方を強く肯定しようとすると、そうじゃない生き方をしている人をションボリさせてしまう」結果になることがあります。「ああ、この人の
価値観ではかられると、私は、認めてもらえないな。ションボリ」と。自分が読者の立場でも、
真反対の立ち位置から「この生き方こそがよし!」と堂々と宣言されると、「わー。そんな生き方してない~スゴスゴ」となる。
女性に限らず、男性もそうでしょうが、年齢、既婚・未(非・離)婚、子持ち・子なし、有職・無職、正社員・非正規・パート、貧乏・リッチ、持ち家・貸家、モテ・非モテ…。そこに好みのスタイルや趣向が加わると、属性はどこまでも細分化されますね。
さらに女性の場合、「既婚・未(非)婚」を「主婦・シングル」と言い換えるだけでも様相は変わってくる。「既婚・未(非)婚」なら、既婚のほうが「既にあるべき状態になっている」という意味で
優越を匂わせるけれども、「主婦・シングル」となると、そこに「自立」という概念が立ち上がり、「自由」なんて概念も立ち上がってきて「自」という文字を土俵の真ん中に据えた、がっぷり四つの戦いが始まるわけです。
もう、いっそのこと、それぞれの仕様書をつけて歩いたらどうかな。わたしなら「既婚・子持ち(女子一人、公立、成績中の下)・有職(ただし不安定・外注ライター)・ビンボー・持家(築30年超マンション)・永年非モテ」とか表示しておくんです。
そんなふうに仕様書表示義務が課せられた場合、属性カーストの頂点に君臨するのは、どんな女性なのでしょうか。「既婚(イケダン)・子持ち・無職・持家・リッチ・永年モテ」?それとも、「非婚・子なし・有職(会社経営)・リッチ・恋人あり(年下)」とか?
小島慶子さんなら、この属性アピールを「武装」と呼ぶのでしょうが、武装をことごとく解除し、「裸の大将」のごとくランニング一枚で、この世を渡っていけるほど無垢な心も絵心も持たないわたしは、目立たぬ程度に、負け惜しみになりすぎないほどに、ある種の屈折した武装をして生きているように思います。その燃料は、やっぱり「見栄」なんだろうな。
これまでパソコンをはじめ工業製品に使われていたスペックという言葉が、人間にも用いられるようになりました。高学歴・高収入・高ルックスの男性を高スペックというように。
自分より大幅に高スペックな人や、自分より激しく低スペックな人と「関係を築く」ことは、なかなか難しいことです。たとえば友人間の経済格差は、楽しいはずのショッピングを、お互いの懐具合を計る気遣いの場に変えてしまう。裕福であれば裕福であるなりに、質素であれば質素であるなりに、それぞれがそれぞれに気を遣うのです。
遊びの発明が、大事なのかな。
子どものときのように…なんてメルヘンなことは言いませんが、属性で武装するバカバカしさや徒労感を思い知ったとき、「わたしはそんなものから自由よ!」と肩に力を入れて仁王立ちするのでなく、何となく、それぞれが武器を置いて参加できるような「遊び」を考える。
この場所が、そんな場所のひとつになったらいいんだけどな。スペックの違いを超えて、
いっしょに遊べる場所。ルールを工夫できる場所。そんな具合に遊んでいたら、日が暮れてきて、静かに深呼吸しながら夕陽を眺めるような場所。
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