「若者よ。夢に見る暮らしがあるなら、今すぐできることをしなさい」と言ってあげたい。
こんにちは、カリーナです。
先週の記事に姪二人がお墓参りに来てくれたことを書きましたが、そのとき、「母親の料理」についての話題になったのです。姪二人の母は、わたしにとっての義姉。ひとりが「なすのグラタンがおいしかった」と言えば、もう一人が「そんなの食べたことない」と言い、一人が「料理が上手」と言えば、もう一人は、「でも楽しそうには作ってなかった」と言い…。
つまり、お義姉さんは、おいしい料理を機嫌よく作るときもあれば、疲れて嫌々ながら作ったときもあったのでしょう。そりゃ、あるわ。だれでも。
そこで、わたしが「母のおせち、作り方を習っておけばよかったなあ」と言ったのです。長崎には「べんさし(べにさし 魚)の南蛮漬け」をお正月に作る風習があるのですが、こちらでは手に入らないし、確か、軽く干して揚げていたと思うんですが、すごくおいしかったから習っておけばよかった。
・・・というようなことを話したら、うちの娘が、「おかあさんの手作りおせちなんか、食べたことない」と。
うん。そうだった。お正月は、夫の実家かわたしの実家に必ず帰っていたし、どちらの実家も次第に手作りしなくなっていたし、娘のとってのおせちは、「注文したおせち」なのです。
夫が倒れた年のお正月は、たまたま帰省しなかったので、その年だけ夫婦で作りました。(なんだか運命を知ってたみたい)
ま、いつか、わたしも手作りするんじゃない?と漠然と思っていたけど、しないまま還暦を超えたわけです。
人生は短いねえ。
いま、台所に立って鍋とか食器とかを触るたびに、「人生は短い」と思います。
「今でこそ、間に合わせのものを使っているが、いつかもっといいものを使うことになるだろう」という目論見ははずれ、若いときから家にあるボウルや食器をいまだに使っているからです。おせち同様、漠然と思っていた「その時期」は来なかったのです。なんていうのかなあ。人生の完成期、みたいなやつ、もっと手前で来ると思ってたら来なかった。
若いときのわたしにも、いまの若い人にも教えてあげたい。
夢に見る暮らしがあるなら、今、選ぶものを、少しでもいいものにしておきなさい。いまできることを見つけて一つやりなさい。今の次に明日、その次にまた明日。その連続で少しずつ完成していくのが、その「夢に見る暮らしなのだよ」と。人生だって同じだよ、と。
子育て期間もその渦中は気づかないけれど、とても短くて、わが子に、美しいものや楽しいことを経験させたいなら、「今、その瞬間」しかない。2歳も、3歳も、6歳も、10歳も、15歳も、18歳も二度とない。
とはいえ、
今日の次に明日の法則は、62歳の今も不変で、続いているわけです。今月は、エアコン掃除を業者さんに頼んだし、ベランダの花も通販で買ったし、完成しないまでも手を入れていきましょう。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。
okosama
たしかに!
さらに言えば、夢みたモノ・コトが自分に合ってるかどうかは、手に入れたり、トライしたりしないと分かりませんものね。
でも、カリーナさん
今気に入らない食器は手放してもええんやで?
カリーナ Post author
okosamaさん
おっしゃる通り!笑
食器はまだ新人投入できているけど
私の場合は、調理器具!
ザルとかボウルよーー。
それがずーっとある。