宮崎駿の新作は猿田彦の物語か。
宮崎駿の新作『君たちはどう生きるか』を初日に見た。ジブリファンというわけでもなく、本当にたまたま、何を見ようかと考えているときに、「あ、そうか、新作の公開日か」と言うことになったのだ。というのも、この作品、事前の情報公開が極端に制限されていて、公開前に僕たちが知ることができたのは、一枚のポスターだけ。アオサギのような頭部が写っていて、それがヘルメットのようになっていて誰かがいてこっちを見ている。ただそれだけのポスターだ。
タイトルは『君たちはどう生きるか』。このタイトルは1937年の吉野源三郎の小説で、コペルというあだ名の15歳の少年が、人生の課題に突き当たるとオジさんがアドバイスをするというものだ。しかし、映画はこれが原作ではない。おそらくインスピレーションは受けていると思うのだが、それは「これからの時代を生きる若者たちに、わしなりの遺言を残しておこう」というようなざっくりとしたものだと思う。
初日に見た感想は、とても面白かった。面白かったけれど、これだけ情報を制限している映画の感想を事細かに書くのは憚られる。できれば、見た人ばかりでオンラインミーティングをしたいくらいだ。なにしろ、パンフレットさえネタバレにならないように、後日発売となっているほどだ。
となると、この映画については何も語れないということになるのである。では、僕は今回、何を書こうとしているのか。それは、すでに見た人への疑問だしである。あのアオサギは、猿田彦なのか、という疑問だ。猿田彦と言えば、手塚治虫のマンガ『火の鳥』にも登場する男だが、れっきとした神様である。たまたま、この映画を見る前日に、小野不由美の『営繕かるかや怪異譚 その弐』を読んでいたのだけれど、そこに猿田彦が出てきたのだ。
神社の境内に遊びに行こうとした幼い女の子が鬼と遭遇してしまうという話なのだが、「それは鬼ではなく猿田彦かも」という会話が出てくる。「猿田彦は道の神様でもあると言いますしね」と続くのだが、そんな会話が出てくる小説をたまたま前日に読んでいたのもなんだか不思議な気持ちである。すると、ポスターのアオサギが猿田彦に思えて仕方なくなったのである。しかも、彼は道案内的に登場する。
ああ見えて、彼は神様なのかもしれない。映画を見ている間中、僕は猿田彦にどこかに導かれているような気になってしまい、主人公よりもずっとアオサギを見ている気分になった。そんな見方がこの映画の正しい見方ではないということは分かっているのだが、そういう見方をしてもいい、という作り方をした宮崎駿は、やっぱり怖いヤツだという気持ちにさせるのだった。いやまあ、これもこじつけなのかもしれないなあ。でも、どうしてもそんな気がするんだよなあ。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。