フラニーとズーイ、47年ぶりの読了。
まず最初に、能登半島の地震で被害に合われたみなさんに心からお見舞い申し上げます。まだまだ余震が続いていますが、気をつけてください。
今年も週に一回のコラム、よろしくお願いします。
さて、僕は今年の11月で62歳になる。そんな僕がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を図書館で見つけたのは47年前。僕は高校生でそのタイトルに惹かれて手に取り、その場で読み始めた。図書館の閉館時間まで読み進めて、そのまま家に帰って読んで、飯をはさんで、その日のうちに最後まで読み終えたのだった。あんなに夢中になって本を読んだのは初めての体験だった。
翌日、『ライ麦畑でつかまえて』を返却し、再び、「外国の小説」の棚の「サ」のところへ行った。他の作家は個別に札を立てられているのだが、サリンジャーは著作が少ないからか、他の「サ」から始まる作家の本と一緒に雑多に並べられていた。『ライ麦畑でつかまえて』が僕が借りた以外に二冊あり、他に『ナインストーリーズ』と『フラニーとゾーイ』があった。僕は『ライ麦畑でつかまえて』の後に読むサリンジャーの本として、『フラニーとゾーイ』を選んだ。
二冊目も今日のうちに読んでしまうぞ、という勢いで読み始めた。でも、読めなかった。第一章の「フラニー」の章はあっという間に読み終えた。面白い。『ライ麦畑でつかまえて』よりも、少し複雑な会話劇に思えて、なんとなく自分自身も大人びたように感じられた。しかし、第二章である「ゾーイ」の章に入ると、ぴたりとスピードが落ちてしまったのだ。
同じように会話劇だし、同じようにスリリングなのに、どうにも難しい言葉が次から次に出てくる。宗教の話とイデオロギーの話が入り乱れて、親子ゲンカの傷つけ合うような言葉が炸裂する。それがとても面白いのだけれど、どうしても読み進めるスピードが落ちる。翌日、翌々日と読んでいくのだが、途中で間をあけると、この小説は間が開くと面白味がわからなくなる。
というわけで、僕は47年前、『フラニーとゾーイ』を途中で断念してしまったのだった。それがずっと引っかかっていた。あんなにも面白かった『ライ麦畑でつかまえて』の著者がつまらない小説など書くわけがない、と思い、何年か前に村上春樹の新訳が『フラニーとズーイ』として発売されたときに購入したのだ。しかし、いろんな心配ごとや仕事の忙しさにかまけてそのまま読まずにいたのだった。
そして、去年、新訳にもう一度挑戦したのだが、これまた同じヵ所で立ち止まる。ああ、僕はもう一生この小説を読み終えることができないのではないかと諦めたのである。ところが、昨年末にこのover40の月亭つまみさんが「2023年、心に残った本のことを書きませんか」と誘ってくれた時に、『フラニーとズーイ』のことをまた思い出したのだった。そして、「どうしても読めないんですよね」とつまみさんへのメールに書くと、つまみさんから「私の断捨離を乗り越えて手元にまだあるので、私にとって大切な本なのかも(文面はうろおぼえ)」という返信をもらった大晦日の夜から、僕はなぜか敢然と新訳版の『フラニーとズーイ』を読み始めたのだった。
新年も明けた1月5日。ついに僕は『フラニーとズーイ』を読み終えた。何につまずいていたのかというくらいに面白かった。読みやすい本ではないけれど、つまらない本ではない。ああ、ほんと読めて良かった。つまみさん、ありがとう。あなたのおかげで僕は47年越しにサリンジャーのもう一冊と出会えました。
そして、みなさん、新年からいろんなことがありますが今年もよろしくお願いします。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。