『恋する惑星』を見て思ったこと
香港映画『恋する惑星』が公開されたのは、もう30年前のことだそうだ。もう、僕も30歳を越えていたけれど、それでもまだ、自分は将来、劇場公開されるような映画を撮るんだという気持ちに諦めがつかない時期だった。当時、ウォン・カーウァイの映画はとてもオシャレで、なんとなく渋谷界隈でもてはやされていて、「なんだ、こいつは」という気持ちを持ちながらも映画館に見に行った。そしたら、オシャレだった。見事にオシャレで、すごいなあ、とため息をついた。
学生時代に8ミリや16ミリで映画を撮ろうとしたとき、男女が出会うだけで数ページをつかって、ろくな脚本が書けなかった思い出がある。この男女のことをしっかり観客につたえなければと思えば思うほど、なんだか自己紹介をしあっているお見合いシーンみたいになってしまった。
それがなんだ、ウォン・カーウァイ!僕らが書こうとしたときに、「ダサイ」「イヤだ」と思うところは全部さっ引いて、面白そうなところだけ繋げているじゃないか。なんて痛快、なんてオシャレ! そう思いながら見ていた。
そんな思い出の『恋する惑星』を30年ぶりで見る。あ、実は10年ほど前に一度、あるカフェでの上映会で見る機会があったのだが、そのときにはほとんど作品に集中できなかったので、まあ、30年ぶり見たいなものだ。
映画館の座席に身を埋めて、4Kにリストアされた『恋する惑星』を見た。覚えていた通りの映画だった。30年前の映画をこんなに細かく覚えているなんて、人間はすごいなあ、と思った。そして、不思議なことに30年ぶりの『恋する惑星』は古かった。面白くないことはない。けれど、あんなにオシャレ映画だと夢中になった新しさが、全部きれいに古くなっていた。
以前、村上龍の小説を再読したときにも思ったのだけれど、ちゃんと新しいものは、ちゃんと古くなるんだなあと思った。そうか、ウォン・カーウァイはちゃんと新しかったのか。新しかったんだな。ということは、あの時、オシャレ映画だ!と夢中になったのは間違っていなかったのか。
なんてことを映画を見ている間、ずっと考えていた。しっかし、いま見てもフェイ・ウォンは可愛かったなあ。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。