佐野元春が『今、何処』と書いた理由
佐野元春と言えば、『サムデイ』『Young Bloods』『約束の橋』などのヒット曲で80年代90年代を牽引したロックスター。僕自身、佐野元春のファンでいまだに時々ライブに出かけている。僕が佐野元春が好きなのは、ソングライターとして、音楽でしか発信しないことだ。例えば、アメリカ同時多発テロのときにも、東北の震災のときにも、佐野は詩を書くか曲を作るかということでしか、自分の気持ちを発信しない。その時代を生きるソングライターとして、その時代を生きる人に向けて曲を作る。それ以外に自分の生きる道はないと、彼は覚悟を決めているかのようだ。
そんな佐野元春が去年リリースしたのが『今、何処』というアルバムである。このアルバムはファンの間でも音楽関係者のあいだでもとても評判がいい。こんなに迷うことが多い時代に、自分自身の立ち位置がわからなくなってしまう時代に、佐野はみんなはいま何処にいるんだ、と問いかける。
僕もいいアルバムだなあと、何度も聞き返し、このアルバム発売時のライブツアーも見に行った。そして、ふと、改めて、なぜ、『今、何処』というタイトルなのだろうと思うようになったのだった。いまどき、普通に文章を書く者は「いま、どこ?」と書く気がする。「今」という時をそのままの読みで、タイトルに持ってきたりする人はあまりいない。小説でも詩でも音楽でもCMなどでも、昨今、漢字はすぐに開かれる。僕が仕事で書いた文章も、先方からの赤入れで漢字がどんどん平仮名にされる。「子供」→「子ども」(供はひらいてください)。「一人一人」→「一人ひとり」または「ひとり一人」(漢字が二つ重なるときはどちらかを開くと読みやすいと思います)などと赤入れが入る。
うるせえわ、漢字のままでも読めるわ!と思う。思いながら「了解でーす」と笑顔で修正を入れ、どんどん漢字を開いていく。
そんな、漢字開きの日々を送っている僕から見ると、『今、何処」は恐ろしく閉じている。漢字漢字している。「今だけでも平仮名にしますか」と誰か言わなかったのか、と思ってしまうほど硬い。
けれど、今さらながらに、『今、何処』というタイトルはいい。何度か見ているうちに、これを開いてなるものか、と思うようになってきた。たぶん『今、何処』というタイトルを思いついたとき、佐野元春は漢字で思いついたんだと思う。だから、字面とか読みやすさとかではなく素直にストレートに『今、何処』と書いたんだろう。
そして、そんな佐野元春の漢字の『今、何処』は少しずつ僕の中に染みている。と、考えると佐野元春はアーティストとして、作家として曲を作っているのだなあ、と思う。平仮名にして「いま、どこ?」としたほうが、読みやすいですよ、と誰かが言ったところで、「読みやすくして、それがどうしたの?」と返しそうだ。そして、そんな佐野元春が好きなのである。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。