坊主の営業
新年が明けた途端に、義父が亡くなり、世間の正月休みが終わる頃まで、バタバタと過ごした。さすがに新年明けたばかりの時期はお寺も初詣などで忙しいのだろう。義父の宗派のお寺を探してもなかなか見つからず、やっと葬儀屋さんの紹介で見つかった。
というわけで、お通夜の席。見つけたお坊さんがやってきた。若い。まだ30歳を少し超えたくらいだろうか。肌がもうツヤツヤしていて、やる気まんまんである。そうこうしているうちに、お坊さんの読経が始まった。まあ、普通、お経って長くても10分から20分くらいだろうか。30分も読んでもらうと長いなあ、と思ってしまう。ありがたいものなので、文句を言う筋合いではない。でも、僕のばあいは、正座が苦手なので、短いと嬉しくて、長いと「立てるかなあ」と心配になってしまう。
義父のお通夜の席のお経は15分くらいだったと思う。ちょうどいいくらいだなあと、立ち上がって背伸びをしようと思ったら、お坊さんが話し始めた。まあ、短いお説教くらいはつきものだ。ということで聞き始めたら、これがお説教ではなく、どちらかというと仏教の歴史を話しはめた。なぜ、いま?という気はしたけれど、「なぜ?」と聞くわけにもいかず、聞いている。すると、これが終わらない。10分、20分、30分と続き、本題のお経の長さを超えて話している。しかも、途中からは自分が所属する宗派の良さを滔々と語り始める。
要するに、営業活動だった。若いお坊さんで、呼べばすぐに来れるくらいの感じだったので、もしかしたら檀家の少ないお寺の住職だったのかもしれない。そういえば、電話では彼のお母さんらしき人が出て、「一生懸命やらせてもらいます」「その後も、ご要望があれば」と言っていたので、月命日などもずっとやらせて欲しいということだったのかもしれない。でもなあ。お通夜の席で長々と仏教の歴史を語り、自分のお寺の宗派の良さを語り続けられるとちょっとしんどい。しかも、お経とセットで、1時間。出席者全員が、お坊さんが帰った後、首を捻る始末だった。
翌日、葬儀という段取りがあり、同じお坊さんがきてくれることになっていたので、葬儀屋さんに頼んで、「説教はなしで」と釘を刺しておいた。すると、出棺し、火葬場での読経は短く、説教もなかった。しかし、骨壷を抱いて葬儀会場に戻り、お経を読んだ後、そのお坊さんがまたまた営業活動を始める。最後に、ひと押ししておきたかったんだろうなあ。でも、それは逆効果だよ。と思っていたのだが、坊さんはやめない。仏教の良さを語りつつ、自分のお寺の営業をする。
やばいねえ。こりゃ、そろそろ落ちるぞ、と思っていたら、うちの奥さんが「そろそろお話は結構ですよ」と声をかけた。お坊さん、なんかあせっちゃって、よけいに声のトーンを上げて話し続ける。すると、今度はうちの奥さんが、このトーンをグンと落として、「もう、結構です!」と雷を落とす。坊さん、撃沈。頭を下げ、仕上げの読経を数分あげて、葬儀は終了。
いい声してたんだけどなあ、お坊さん。営業なんかしなけりゃ、次の法要も頼んだかもしれないのに。人間、焦っちゃダメだねえ。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。