手をつなぐ: ウチの器3
2ヶ月に一度、母を物忘れ外来へ連れて行きます。
通常の内科の診察は入所しているグループホームの担当医が定期的に往診に来てくださるのですが、それ以外の科は原則的に家族が連れていくことになっています。
先日も、妹に車を出してもらい、3人で物忘れ外来へ向かいました。
グループホームに着くと、既に準備を整えた母がスタッフの方と一緒に玄関で待っていました。
「ミカスちゃんと妹ちゃん?」
私たちの顔を見た母は、自分の記憶を確認するかのように少し語尾を上げ、質問のようなそうでないような言い方で声を掛けました。私たちの顔だけでなく、きっと色々なことが頭の中でもやもやとしているのでしょう。そのもやもやはほんの一瞬さっと晴れることもあれば、更に濃い霧になって記憶を覆い隠してしまうこともあるのだと思います。
いつからだったか、母と外出する時は自然と手をつなぐようになりました。
脚はそんなに酷く衰えてはいないのですが、母の全てがなんとなく弱々しくなった気がして、気づいたら私も妹も自然と手を引くようになっていました。
頭(心)の中に立ち込めるもやもやのせいでいつも不安げにしている母がまるで道に迷った子供のように見えて、手をつなぐことで「大丈夫だよ」と伝えたいのかもしれません。
診察後に母をホームへ送り届けると、私と妹は毎回2人でランチに行きます。私たちが行くお店など数が限られていて、もう何年もいくつかの同じ店へ通っているので、大抵のお店で「そういえば、お母さんが元気だった頃、よくここで3人で食事をしたね」という話になります。そして私は、もうあの頃のような私たちに戻ることはできないのだなと思うのです。多分、妹も。
コロナがもう少し落ち着いたら、妹と2人で母をランチに連れ出してみようかしらと思っています。昔よく3人で食事をしたお店に連れて行ったらどんな反応をするかしら。その帰りにちょっと家に寄ってみたらどんな反応をするんだろう。そこに孫やひ孫たちも呼び寄せて、昔のように賑やかにみんなで食事をしたら…。
そうやって少しずつ少しずつ時間を戻すことを私は考えるのですが、じゃあ、認知症を発症し始めた母と一緒に暮らしていた頃に時間を戻してあげようか?と神様に聞かれたら、きっぱりと断るでしょう。
介護というのはそういうものです。
さて、今月は私のお気に入りの器を紹介しています。
今回は私の好きな作家さんの器をご紹介します。
村田亜希さんの器
元来、この器はどの作家さんのものだなんてことは全く気にしていませんでした。だいたい「作家ものの器なんてお高いんでしょ~」ってクチでしたからね(笑) おしゃれ食卓インスタグラマーさんの写真を見ては「けっ!」なんて悪態をついたりした時期もあったのですが、所詮はそれもただの嫉妬だったとミカスは後々気付くのです。
写真を見てしまうってことは好きなわけで、嫉妬するってことは同じことをしたいわけで。
そんな時にたまたま出会ったのが、確か左上の皿でした。
陶芸で有名な町、益子のギャラリーでこの器を手に取った時は作った人の名前など知らず。お店の方が紙袋に入れてくれた作家紹介の紙で、この器を作ったのが村田亜希さんだと知ったのです。
その後は益子に行くたびに村田さんの器を探し、昨年初めて展示会に足を運び、在廊されていた村田さんと少しお話することもできました。はたして、作品と同じように柔らかくて優しい空気を湛えた方でした。※その時に購入したマグカップはこの写真にはありません
戻りたいけど戻れない。
戻れるとしても戻らない。
私たちは色々な「あの頃」を抱えていますね。抱えていても結局進めるのは前にだけ。
価値観はみんな違うし、好きなものも、苦手なものも、美味しいと思うものも、欲しいと思うものも、みんな違うから、せめて少しでもお互い楽しくいられるように心を配りながら進みましょう。
ミカスでした。
凛
ミカスさんおはようございます。
手をつなぐって実はすごくストレートに相手に寄り添う気持ちを伝えますよね。
お母さますごく安心して嬉しく思ってらっしゃると思います。
以前父の葬儀に来てくれた伯母(父より10歳年上)が足元がおぼつかない様子だったので思わず手を取って椅子席まで送ったのですが「あっ、あらあらまあ・・・」と言ってうれしそうににっこりしていたことを思い出します。
私も急患で運ばれたときに婦長さんがずっと手を握ってくれていたこと、忘れられません。
村田さんのお皿、どれも優しくて包容力のある雰囲気ですね、素敵!どんなお料理も受け止めてくれそう。明日こそうちのお気に入りのお皿お見せしますね~
ひろっくま
ミカスさんの文章を読んで、頭の中にあったことが言葉になりました。
先日2年ぶりに実家に帰った時のこと。
2年前にはなかった父用のベッドが部屋にあって、そこでの生活が毎日繰り返されていることを示す、乱雑に置かれた本やタオルやティッシュの箱が傍らに置かれていました。
その場で歳を重ねる父を、なんとも不思議な気持ちで想像し、部屋の掃除が何となくできなくて、そこ以外のトイレやら玄関やらを掃除して自宅に戻りました。
母が実家で一緒にいてくれること、通所リハビリやデイサービスを利用していること、フットワークの軽いかかりつけ医がいること、地域の方が世話を焼いてくれていること、安心材料もたくさんあります。
私がコロナ対応をしている医療機関で働いていることを理由にして
(または実際そうせざるを得なかったんですが)
この2年両親に起きた大変だったことに、実質的に何もできないまま、その場にいた自分がいたたまれなくなってしまいました。
だけど自分の生活で手一杯だったのはあるんですが、コロナ前より気持ちは楽に過ごせていて(手術も付き添いも救急にも行かなくて済んでしまって)今の生活を介護に割く勇気はこれっぽちもなかったんです。
その自分の気持ちに罪悪感すらわかなくて、なんと言うか現実感がなくてぽわーん、としたまま過ごしていました。
兄と弟は自分の家族のことで頭がいっぱいで、私は独身で、なんだか逃げたいのかな。私しかいないんじゃないかとおm…おぉぅ。言葉にできない。
帰りに父が「柿の実が赤くなってきとるじゃろ、たくさん取って帰れ」
と言うのを高枝切りバサミでもいで帰りました。
ミカスさんの
「介護というのはそういうものです」という言葉がストンと腑に落ちてしまいました。
それは冷たい気持ちじゃなくて「何かあった時には自分ができることを、その時に一生懸命考えて精一杯するぞ」という覚悟のような気持ちではあります。
すみません長々とダラダラ書いてしまいました。
ミカス Post author
ひろっくまさん
完璧に介護できたなら、それはとても素晴らしいことなのだと思いますが、
だいたい、どんな介護が「完璧」なのかすら私にはわかりません。
ひろっくまさんが仰るように、出来ることをできる範囲でするしかない、すればいいのだと思います。
それについて誰かが「もっとできないの?」「自分の親なのに」と言ったところで
その人たちが何をしてくれるわけでもありませんしね。
無理のない範囲で自分に出来ることをして、あとはプロの手を借りられるだけ借りればいいと思います。
ただ、お父さまの言葉に従って、ご実家の柿の木から実をもいでもらって帰る。
それを美味しく食べて、美味しかったよ!と伝える。それはひろっくまさんにしかできない。
もしかしたら、それは、どんなお世話よりもお父さまの気持ちを穏やかにするかもしれません。
介護とはそういうものなのだと思います。
ミカス Post author
凜さん
親の手を引くというのは、子にとっては存外切ないものです。
もちろん親は安心してくれていると思うのですが、子に手を引かれて安心する親を目の当たりにすると
その衰えがとても強く感じられて複雑な気持ちになります。
それでも不安な時に誰かが手を握ってくれるのはありがたいですね。
先日は素敵な食器を見せて下さってありがとうございました。
やっぱりやちむんも素敵だなぁ。