父の時計:サラダケールのもみもみサラダ(お知らせあり)
以前、認知症の父に見当識障害が出始めたという記事を書きました。
見当識障害とは「今がいつか」「ここがどこか」「この人は誰か」が分からなくなってしまうことです。父の場合、時間に関する感覚の狂いが顕著です。以前の記事を書いたのは2月。つまり、今年のはじめには既に父の時計は狂い始めていたということですが、最近、その狂いの幅が大きくなり、頻度も増してきました。
朝、歯を磨いて顔を洗って自室で朝食も済ませた後にキッチンへやって来て「おはよう」。
まるでたった今起きて、一から朝を始めようとしているようです。
「もう顔も洗って、朝ごはんも食べたのよ」と言い聞かせながら一緒に部屋へ戻ります。座卓の上にある朝食の残骸を見せて「ほらね」と。
夜、寝間着に着替えて寝支度も済ませたはずなのに、そのへんにあった服に着替えてやって来て「今日はどこへ行くんだっけ?」。
閉じたカーテンを開けて暗闇を見せ、「今は夜。今日やることは全部終わったの」と極力穏やかに伝えます。
毎回父はなんとも言えない複雑な顔をします。驚いているのか、不安なのか、怒っているのかわからないような複雑な表情です。
目の前に置かれた鬱陶しいくらいに大きなデジタル時計や窓の外の様子を見れば、せめて今が昼か夜かぐらいはわかりそうなものなのに。もちろんそんなふうに思います。でも、そう思った後に、わかりそうなものすらわからなくなってしまった父の脳内時計に一体どんなことが起きているのだろうとも思うのです。あのなんとも言えない複雑な表情を浮かべて、父は一体どんなことを思っているのだろう。
幸い、父はほぼ毎日のようにデイサービスへ行っています。そうやって日中だけでも規則正しく過ごすことが重石となって、父の時計の針が暴走することを止めてくれているような気がします。とはいえ、その重石も振り切って、時計の針が猛スピードで回り出すのもそう遠くないことなのでしょうけど。
私も覚悟を決めておかなければなりません。
夜中にふと目が覚めると、父の部屋からテレビの音が聞こえてくることがあります。部屋を覗いてみると、深夜番組を煌々と映し出すテレビの前で、布団を被った父がいびきをかいて眠っています。早い時間に消したはずのテレビがついているところを見ると、トイレにでも起きた父がテレビをつけ、そのまま寝入ってしまったのでしょう。それを数回繰り返す夜もあることを考えると、父はあまり良く眠れていないのかもしれません。それも父の時計を狂わす要因のひとつなのかもしれません。
と、前置きが長くなりましたが、今回ご紹介する一品は良質な睡眠をとる手助けをしてくれる食材を使った『ケールのもみもみサラダ』です。と言ってもこのレシピ、とても美味しいサラダケールを栽培している農家さんから教えてもらった食べ方です。
スーパーでは見かけることのないサラダケールですが、もし道の駅などで見かけた時はぜひこのレシピを試してみて下さい。サラダケールなら苦みもないし、塩もみをしても水が出ないのでとても使い勝手がいいですよ。
サラダケールのもみもみサラダ
- サラダケールは茎から葉をはずして、食べやすい大きさにちぎります。
さっと洗って、しっかり水気をふき取って下さい。 - 1のケールをボウルに入れ、塩を振ります。塩を全体にまぶし、しんなりするまで揉み込みます。
塩は洗い流さないまま食べますので、量が多すぎると塩辛くなってしまいます。気を付けて。 - 塩を揉み込んでケールがしんなりとしたら、パルメザンチーズ、黒胡椒、レモン汁、オリーブ油を加えて混ぜ合わせます。これで出来上がり。簡単なのにとても美味しくてヘルシーな一品です。
さて、ぎりぎりになってしまいましたが、今月の「在宅デトックス」のおしらせです。
今回は夜回。秋と冬の間のような夜に、一緒におしゃべりしませんか?
在宅デトックス11月回のお知らせ
日時: 11月30日(水) 21:00~ ※大体1時間半くらいです。
テーマ: 『介護者の心と体』※10月と同テーマです。
詳細とお申込みはこちらをご覧ください。
今月は夜の回です。
介護しているあなたの体調、心の状態について不安なことはありますか?
介護が終わってもまだくすぶっているしんどさはありますか?
介護者の心と体についてお話しましょう。
過去に介護経験のある方、現在介護真っ最中の方、介護未経験だけど興味がある方、全て大歓迎。
初参加の方もお待ちしています。
ミカスでした。
Naomi
我が入院中の母も、ストレスから来るせん妄と思っていたのですが、どうも見当識障害が出始めたようです。病院ではなくて「バラ園に住み込みで働いているけど、初心者だからご飯を食べて寝てるだけで何も出来ない」と言いだしました。お花畑かよ💦
ミカスさんのこの記事を読んではっとしたのですが、ミカスさんは一度も「困る」って書いてないですね。お父さまの脳内で何が起きてるんだろう?ちゃんと眠れてるのかな?って、不安はとても大きいけれど、「困るんだよ」って言わないのすごい。
介護の日常で口にしがちな「困る」の押し付けって、一見、自分のための言葉に聞こえるけど、必要以上に自分を苛立たせるだけで、何も良い方向に進まない気がします。
介護が自分の予測の範疇に収まって困らずに済んで欲しいっていう、ふんわりとした希望は、何の役にも立たない、確かに。
私は「困るんだよ」の嵐の中にいて物すごくストレスを感じていたけど、合点承知。
できるだけ自分が困らないように手を打つことのほうが大事ですよね。
Jane
もみもみサラダ作ってみましたー。サラダにするにはバサバサとしたかためのレタスを使って。しっかり味がついてちゃんとしたおかずになりますね。
身寄りもなくもう日本に帰ることもないであろう、アルツハイマーの方の訪問ボランティアしています。何度訪問しても覚えてもらえないけれども、記憶には残らなくても短時間お喋りを楽しんだ、ということは意味があるのかな。あるよね?病気でなくても、楽しかったことのすべてを覚えているわけではないし、だからってその時間が無駄だったわけでもないし。しかも楽しくない時間も、人生だ。といつ行っても淡々としているその方を見て考えます。
ミカス Post author
Naomiさん
私も困ってますよ。ただ、母の介護を経験したことでそういものをいなす「コツ」を身に着けたのかもしれません。
困りますよ。十分に困る。
でも、Naomiさんが言うように「できるだけ自分が困らないように手を打つこと」が一番大切だということに私も気づきました。
だから、困ってもいいのだけど、いや困って当たり前の状況の中に私たちはいるけど、
極力その状況から遠ざかれるような努力をしていいのだと思います。
Naomiさんも、できるだけ自分が楽にいられるための手立てを探して、実行して下さいね。
お母さん、バラ園で働いていらっしゃるのか。
見当識障害は辛いけど、でも素敵な勘違いですね。
バラ園で楽しい時間を過ごしてもらいたいな。
ミカス Post author
Janeさん
そうか、かためのレタスでも美味しくなりますね。
サラダのようでいて、ちょっと漬物っぽくもある感じですよね。
Janeさんとお喋りをする時間はその人にとってとても意味がある時間だと思いますよ。
Janeさんのこともお喋りした内容も、きっと5分後には忘れてしまうと思うけど、その瞬間が無意味なはずはない。
私の人生も後半戦に差し掛かりました。
これまで積み重ねたことや、もしかしたらほんの数分前のことも忘れてしまうようになるかもしれないけど、Janeさんのような人が訪ねてきてくれてお喋りを楽しむ時間を持てたらいいなあと思っています。
Jane
薔薇園で思い出しましたが、遠い昔、働き始めの事務員だった頃、仕事中に「ターラーラーターラーラーラー」と小さくサン サーンスの「白鳥」を口ずさんだら、先輩に「〇〇ちゃん、幸せそうだね」と見ぬかれ、「はい、今薔薇園の中にいました」と答えたことがあります。
そんなこと言っても許された時があった。若さか。バブルの名残のあった時代のせいか。
薔薇園のビジュアルを脳内に再生して逃避できた時もあった。まだ空想が現実に侵食されつくしていなかったのであろう。
今じゃ寝ても夢も見ない。
私が訪問している方は、医療付きホテルにいると思っているそうです。昼食時には大部屋から出て、他の入所者と一緒にカフェテリアに連れていかれます。食べた後は、そのままテレビから流れるオペラやクラシック音楽を聴くでも聴かないでもなく、他の入所者と喋るわけでもなく、寝ているでもなく、ただただ車椅子に座っている何十人もの人達。私もいつか、また薔薇園にいる気持ちになる時があるかもしれないなあと思いました。
ミカス Post author
Janeさん
その時Janeさんがバラ園の中にいたように、Janeさんが訪問されている場の皆さんもカフェテリアにいながらもそれぞれの幸せな場所に身も心も飛んでいってるといいですね。
いつか私も私のバラ園で「あら、ひょっとしてあそこにいるのはJaneさん?!」なんて時を過ごすかもしれません。その時はぜひ一緒にお茶でも。