第180回 自分で言ってて照れる言葉
つまみ:
初めて事務職についた40年ぐらい前、
出先から帰ってくる職場の人に「お帰りなさい」と言ってたら
先輩に、そういうときは「お疲れさまでした」だよ、と言われた。
そうなのかと、反発したわけでもなく受け入れたんだけど
なぜかしばらく「お疲れさまでした」と言うのが照れくさくて
帰ってきたことに気づかないふりまでした記憶があります。
その後、なんのてらいもなく言えるようになって
振り返ると、あの照れが微笑ましいくらいだけど
そういうの、ある?
言う前に照れちゃうパターン
言ってから妙に照れたパターン
どっちでもいいよ(ってエラそうだな)。
まゆぽ:
ビジネス的言葉遣いってあるよね。マナー研修とかで教わるタイプのヤツ。
「お疲れさまでした」もそうかも。家では言わないもんな。
照れではないけど、なかなかすらっと言えなかったのが
「恐れ入りますが」っていうヤツ。
社会人40年もやってるから、最近は意識すれば言えるようになった。
使えると便利ではあるのよね、これ。
照れちゃう言葉…そうだなあ。
本当に心から「すてき!」って思ってるときに「すてき」って言うの照れるかも。
照れる「すてき」を100とすると、85くらいまでの「すてき」は
なんの照れも抵抗もなく言えるんで、
私が「すてき!」と言ったからって、「本当は思ってないくせに」って思わないでね。
でも、もうベタベタでめろめろのときは、
初恋乙女になっちゃって口にできないかもしれません。
「すてき!」は、ファッションだったり、たたずまいだったり
人柄だったり、価値観だったり、いろいろ含めてね。
つまみ:
「恐れ入りますが」はね、つい「恐れ入りやの鬼子母神」と言いたくなるタイプ(半分ホント)。
昔の職場で、電話の最後に「よろしくどうぞ」って言う人がけっこういて
なにがよろしくで、どこがどうぞなんだよ!と心でツッコんでた。
あ、照れる言葉だった。
本心からの「すてき!」が照れるってすごいわかる!
今、世の中もThat’s Dance!も「いいと思ったらどんどん誉めろ」的風潮(?)で
確かにそうだなとも思うんだけど
あまりにも本心だと照れるんだよね。
もちろん「すてき!」にウソはないんだけど
あんまりすてきな案件は黙っちゃう。
時間をおいたり、むしろ、若干の社交辞令が混入されてた方が堂々と言えるよね。
「すてき!」って感情語ではなく、「コミュニケーション語」なのかも。
まゆぽさんに言われて、初めてそう思ったわけですが。
小学生六年生のとき、おとなしい同級生が悪者にされそうになって
ムダに正義感が強かったので(人生でいちばん強かったかも)
大勢の前で「〇〇ちゃんはそんなことをする人じゃありません!」って言ったんだけど
言ってから、なんだよこれ、かっこいいセリフじゃん
でも自分に酔ってるみたいとすごく恥ずかしかった。
それを悟られたくなくて、しばらくツンとしてたっけ。
まゆぽ:
あはは〜。
そんなことする人じゃありません!って、
仁王立ちして、顔赤くして叫んでる、小さなつまみ像が思い浮かんで
おばちゃん、微笑ましくて笑っちゃいました。
ドラマや小説に出てきそうな台詞は恥ずかしいよね。
「私のことが信じられないのっ!?」とか、
「これまで生きてきた中で一番幸せ」とか
言ったことないけど考えただけで照れるわ。
言ってから恥ずかしくなった言葉、「お姉さん」かな。
エレベーターの中でボタンが高いところにあって背伸びしてる子どもに
「あ、お姉さんが押してあげる…」ってつい言っちゃったりして
違った、違った!って狼狽え照れる。
でも「お姉さんじゃなくて、おばちゃんね」
なんてわざわざ訂正するのも何だしね、みたいな。
言いまつがいは照れますね。
つまみ:
自分がおばちゃんであることを重々承知してても
意識の中に若い自分も確実にいるから
うっかり顔を出すね。
それは、言いまつがいとか、自分の老いを認めないとかより
バリバリ共存してる証しってことじゃない?
でもその照れ、すごくわかる!
…と書いてきて、いまさら!?だけど
今回のお題で、照れるって、初々しくてかわいいなあと思った。
カマトトぶる(←この言葉も言っててちょっと照れる)わけじゃないけど
これからも、妙なところに照れたり恥じたりしながら
一筋縄ではいかない高齢者道を進んでいこうではないか、まゆぽさんよ。
まゆぽ:
うんうん、初々しくて一筋縄ではいかないばあさんになろう!
★「チチカカ湖でひと泳ぎ」を盛り上げてくださる
佐藤知津子はオバフォ屋雑貨店
(知津子さんのHPはこちらです ⇒ ★)
Jane
私「お疲れ様」より、他人に「お帰りなさい」というほうが恥ずかしいです。プライベートな感じがして。「お疲れ様」はそれほど「疲れたでしょう」と思っていなくても、その一言で気遣いを示したことになるし、多用していましたね。正直英語でその「私あなたを気遣っています」感を出すほうが演技力がいり、私が疲れます。
「恐れ入りますが」ほか「かしこまりました」とか「承りました」とか「承知いたしました」とか「御多忙のところお手数をおかけして申し訳ございませんが」とか、若い頃にはもう舌先がぺらぺら喋ってしまう感じでした。今でも書く時には敬語ゲームを楽しむような気持で書いています。
私が恥ずかしく感じるのは、頼むこともないのに言ったり書いたりする「よろしくお願いいたします」ですよ。それも何回も同じ相手に言い相手にも言われるときなんて、自分でも滑稽な気がしますが、これも言わないと礼儀知らずに思われそうで。
「すてき」にもドラマに出てきそうな言葉にもなんの抵抗もありませんが、英語での褒めっぷりが全然ネイティブスピーカーに及ばないことは自覚しています。
自分のことを「私」以外の言葉で家族以外に言ったことは、人生で一度もないかも。
まゆぽ Post author
Janeさんのコメント、いろいろな意味で深いです。
ビジネスメールなどで連発している「よろしくお願いいたします」。
考えてみればなんの意味もないんですよね。
メール以前のビジネスレター時代には
「貴社益々ご清祥のこととお慶び申し上げます」なんて始めて、
「末筆ながら…」とか締めていたことを考えると、
それでも楽ちんで、実用的にはなったんですよね。